「夢を結ぶ、か。いい名前じゃん。たしか、源氏物語の中にそういう表現が出てくるんだよな」
「うん。夢を見るって意味だよね。より散文的には単に寝るってことだけど。趣きのある言葉だとは思ってた。たぶん、あたしの両親は源氏物語は関係なくて、夢が実を結ぶようにって意味で名付けたんだと思う」
女子である結夢はもちろん源氏物語を読んでいたが、男子の三田村が源氏物語ネタを出してきたのは意外だった。
「その伝でいけば、吾郎という俺の名前は『われは男子なり』ってことになる。身も蓋もないな。長男というわけでもないのに、夢のない名前だ」
三田村はくっくっと笑った。別に名前にコンプレックスがあるわけでもなさそうだ。
「あたしさぁ、幼稚園の頃、大人になったらケーキ屋さんになりたいと思ってた。でも、子供のときの夢なんて大人になったら消えちゃうよね。大人は夢より現実に生きないといけないから。いくら勉強ができたって、実を結ぶべき夢なんてあたしには思いつかない」
「俺は天文学者になりたいと思ってたな。子供っぽい考えしかなかった」
結夢は軽く笑って相槌を打った。
「ほんと、子供って夢があっていいよね」
「いまは星を見るよりロケットを飛ばす方に興味が移った。大学もそういう方面に進むつもりだ。そのためにはもっと勉強しないとな」
その言葉に、結夢は軽いショックを受け、やがてそれが焦燥感へと変わっていった。
三田村は毎日を楽しんでいると気づいたのだ。
三田村に見えている世界は自分には見えていない。
似たもの同士、同じ悩みを抱えている、そう思ったのはカン違いだったのだ。
結夢は浮くのをやめて立つと、不機嫌な声で、
「三田村くんって、教室ではまじめタイプだよね。でも、実際のあんたはぜんぜん違う人だった。自由だし夢もある。どうして優等生のフリをしてるの?」
三田村は意外そうな顔をして立った。
「いや、フリをしているつもりはないぞ。優等生だとも思ってない。宿題も予習も忘れず、授業中いねむりしないというだけで優等生だというなら、まあ優等生ということになるが。俺だって結夢のことをまじめタイプだと思ってたぞ。ついさっき、それは思い違いだったとわかったけどな。お前は優等生のフリをしてるのか?」
「あたしは……!」
何も言い返せなかった。
「本当の結夢はとんでもない不良娘だったりしてな。ハハハ。俺は俺のやりたいこと、やるべきことをやっているだけだ。まじめに勉強するのもそうだ。それがフリだというなら、結夢だって同じだろ? それとも優等生は不自由だと思っているのか?」
「あたしは優等生なんかじゃない。フリをしてるだけ。あたしにはやりたいことも、やるべきこともわからない。本当の自分なんてわからないよ。三田村くんとは違う」
結夢がうなだれると、三田村は一瞬困惑した表情を見せ、それから夜空を見上げて考え込んだ。
「俺は中学のとき、野球部だったんだよ」
と、三田村が脈絡のない話を始めたので、結夢は思わず聞き耳を立てた。野球部だったという話も意外だったのだが、もういまさらイメージが崩れるでもない。
「俺たちはいわばキャッチボールと玉拾いしかさせてもらえない下級生だ。先輩たちが試合で活躍しているのを遠くからながめながら、つまらない練習に精を出すしかない。試合に出れる力もないし、キャッチボールだってうまくこなせるかどうか怪しいものだ」
結夢は三田村が何を言いたいのかよくわからなかった。野球部の話をしているようだが、現在形だし、『俺たち』というのは結夢も含まれているような話し方だ。
「あたし、野球のルールもよく知らないんだけど」
「ああ。まさにそういうことさ。何も知らないし、何もできない。実力がないんだから、どのポジションが向いているのか、どのポジションをやりたいのか、ピッチャーをやりたいのか打手として活躍したいのか、自分でもわからない。そんなんでキャッチボールの練習ばかりしていたって楽しいわけないよ。けど、キャッチボールもできないようじゃ試合には出れないし、出たところで惨敗だ。毎日の練習がつまらないとしても、練習をつづけるしかない。――大人になるまで」
「自分だけ大人になったつもり? 上から目線でむかつくんだけど」
「俺はまだガキンチョだよ。俺は宇宙開発の仕事をしたいと思っているが、それだって子供っぽい夢にすぎない。それに、夢は子供が見るものじゃない。大人が見るものだ。俺たちはまだそこまで大人になれていないんだ」
「意味わかんない。やっぱり、あたし、もう帰る」
結夢は不機嫌にそう言って、プールから上がるハシゴの方に泳ぎ去ろうとした。その結夢の両肩を三田村がつかんだ。振り向いて手を払いのけ文句を言おうとした結夢を、三田村が押しとどめた。人差し指を立てて、結夢に静かにしろと合図する。
その時、プール入り口の金属製の格子扉がきしむ音が響き渡った。懐中電灯らしき明かりが消毒槽の方で揺れているのが見えた。つづいて、こちらに呼びかける声がした。
「おーい、プールに誰かいるのか? 夜間は立ち入り禁止だぞ」
声の主はすぐにわかった。学年主任で生活指導の教師、磯山だ。
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