第11話 恋のデルタゾーン (10)

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 さて、図書室のカウンター当番もきょうが最終日。

 これで一週間のお仕事もつつがなく終了、あとすこしで閉館時間になると思ったとき、藤堂先生がやってきた。

「まだ進路調査票を出していないのは美星だけだぞ。進路で悩んでいるなら、いまから面談をするか?」

 うう、きょうまでに提出することになってたけど、まだ書けてない。

「じゃあ、先生は教室で待っているから、終わったら顔を出せ」

 と言い残して帰っていった。

 そうして閉館時間になった。あたしは岩倉くんに「一週間お疲れさま、次の当番のときもよろしくね」と言って教室に向かった。

 誰もいない教室に藤堂先生が待っていた。

 あたしは駆け寄って、先生に抱きついた。先生はちょっと慌てたけど、すぐにあたしを抱きしめてくれた。先生の体はぬいぐるみみたいにやわらかいけど、両腕は力強い。大人の男性のやさしい匂いに包み込まれた。

「今週はあたしとエッチなことができなくて欲求不満でしょ? 来週になるまで待てなかったの?」

 からかうと藤堂先生はあたしを離して、椅子のひとつに座った。

「進路相談の面談だと言ったろ?」

 あたしも先生の膝に腰を下ろした。甘えた仕草で先生の肩に顔をくっつける。

 窓からとなりの校舎が見えた。もしもあっちの棟の廊下を通る人がいれば、あたしたちの姿が見えてしまう。バレてしまいたいという危ない誘惑を感じた。

「俺は美星がいろいろ事情を抱えているのを知っている。俺にできることはあるか? 普通の担任教師にはできない相談ごとだって、俺は聞いてやれるぞ」

「あたし、どうしていいかわからないんだ。卒業後のことなんて考えたことなかったし。小学校も中学校も卒業式には出れなかった。この学校だって卒業できるかどうかわからない。どっちにしても、二十歳まで生きることはないんだろうなって思ってたし」

 藤堂先生が心配そうに肩を抱いてくれたので、あたしは弱々しく微笑んだ。

「あたしみたいな子は売春婦になるしかないじゃん。で、頭のおかしいお客に暴力で犯されて、精液まみれにされたところを首を絞められるかナイフでめった刺しにされるかして殺されるんだ。場末のラブホテルで発見される身元不明の全裸死体。それがあたしの末路なんだろうなって、そう思ってた。だけど、最近はそんな想像にリアリティを感じなくなってきてる」

「生きる希望を取り戻せてるんだ。それは美星にとっていいことだよ」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。大人になっても生きていかなきゃならないなんてゾッとする。あたしがオバサンになっても抱いてくれる男の人がいるかどうか……。セックスするしか能がないのに」

「美星は成績いいだろ。実力テストだって普通科で三十番以内に入っている。大学に行ってみるのもいいんじゃないか? 学費の問題なら――」

「四年分の大学の学費なんて一ヶ月で稼げるよ。だけど、興味はわかない。援助交際する上で女子大生の肩書は役に立つのかな。それより結婚したい。人妻の方がきっと高く売れる。それならアラサーになるまで生きていてもいいかも」

 藤堂先生は適当なことを言ってごまかそうとはせず、だまって肩を抱き寄せてくれた。

「進路調査票だったね。第一志望は『結婚』、これはちょっと難しいかな。そうね、第二志望は『愛人』かな。愛してもらえるなら不倫のままでもいい。でもやっぱり『風俗嬢』が現実的なところだと思う。それが第三志望。そう書いてもいい?」

「俺は美星が好きだし、お前には生きていてよかったと思えるような人生を歩んでほしい。そのためにできるだけのことをする。進路調査票はとりあえず未定でもいい。そう書いて提出してきた奴もいる」

「うん……。ごめんね、先生」

「お前の保護者とも話したいんだが、ぜんぜん会ってくれない」

「お店に行けばいいよ。予約が取れるかわからないけど、担任の先生だっていえば、きっとうんとサービスしてくれるよ。あたしのお母さん、NN嬢だから高いけど」

「NN?」

「もちろん、あたしの方がずっと高いけどね。ねえ、先生、あした、ホテルに行こうよ。また先生に縛られたい。あたしもうんとサービスしてあげるから」

「すまんが、あしたは家族サービスなんだ。子どもたちを動物園に連れていく約束をしていてな。明後日の日曜日ならなんとかなるが」

「日曜は三年生の子とデートなんだ。フフフ、援交じゃないから安心して。じゃあ、また今度だね。あ、家族優先でいいんだよ。家庭よりあたしを優先するような人だったら契約解消だからね。そんな先生なら好きじゃなくなるから」

 あたしは藤堂先生にキスをして立ち上がった。バッグから進路調査票と筆記用具を取り出すと、『就職』に丸をつけて先生に渡した。それからもう一度キスをして「大好き」と言って教室を出た。

 胸が苦しかった。これだって立派な恋だ。

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