あたしの言葉に一条さんは我に返ると、やわらかい笑顔を見せた。
「ああ、きみは春を告げるたんぽぽのように可愛らしいよ、沙希ちゃん」
「そーゆーセリフを真顔で言うようじゃ、女の子はドン引きだよ」
あたしは一条さんの横にすわった。スカートが短いから太ももに当たるすべすべの石の感触が冷たい。
「連絡してくれてうれしかったですよ、一条さん」
あたしが微笑むと一条さんは安心したように白い歯を見せた。
そして紙袋を手に取るとそれを開けた。
「お昼はまだだろ? コッペパンの専門店が期間限定でオープンしていてね。最近はよくそこで買って食べているんだ」
「レストランでランチをごちそうしてもらえると思ってたんだけどな」
「こういう天気のいい日は外で食べるのも気持ちのいいものだ。パン好き女子のあいだでも人気らしいし、気に入ってもらえるといいんだがね。でも、もしほかのものが食べたいなら――」
「ううん、いただきます。こういうのも悪くない」
「飲み物は何がいい? 買ってくるよ」
「じゃあ、コンビニでカフェオレのペットボトルを買って半分こしない?」
「沙希ちゃんがそう言うんじゃないかと思ってね」
と言いながら、一条さんは紙袋からカフェオレのボトルを取り出してみせた。
「えー!? やだ、何それ。あははは」
びっくりして一条さんを小突いた。
久しぶりの再会だけど、これで一気に打ち解けた気がして、ふたりで笑いあった。カフェオレは一条さんが自分用に買っておいただけのものだろう。あたしがカフェオレをリクエストしたのはただの偶然だ。それでも心が通じ合っているように思えて、なんだかうれしくなった。
あたしはツナタマポテサラのコッペパンを取った。
「ああっ、ホントだ。これおいしいね。パンがしっとりやわらかくて、大好きなタイプ。ポテサラもおいしい」
コッペパンを頬張るあたしを、一条さんは何も言わずに、やさしい笑顔で見つめた。なんだか前に会ったときより、やさしい感じの人になった気がする。同時に、隙ができたようにも思える。最初に会ったときはお互いに騙し合いだったから、自分をすこし晒しているいまの一条さんを見てそう感じるだけなのかもしれないけど。
一条さんもコッペパンを取り出して食べ始めると、
「沙希ちゃんが元気そうでよかった」
「むー、一条さん、なんか変ですよ? 極悪非道で血も涙もない一条さんが、どっかいっちゃいました。ひょっとして、あたしをレイプしたことをまだ気にしてるんですか?」
あたしはジト目で一条さんをにらんだ。
「正直、どんな顔をして沙希ちゃんに会えばいいのかわからなかったんだ。きみとはもっとよく知り合いたいと……、その……、俺はきみともっと仲良くなりたいと思ったんだが、まあ、なかなか連絡を取りづらくてね」
「そりゃあ、何も知らないバージンの女子中学生を部屋に連れ込んで無理やり犯しちゃったんだし、その相手に会うのが気まずいっていうのもわかりますけど。あたしだって一条さんを騙して大金を巻き上げたわけですし、お互い様じゃないですか」
「きみは援助交際しているって話だが、それだって父親から虐待された上、売春させられていたからだろ? ミーナちゃんだって……」
「ミーナちゃんとはセックスしてるんでしょ?」
「ああ。あのあと彼女のことが気になってね、俺の方から連絡をとったんだ。話をするだけのつもりだったんだが……」
一条さんはオフィスビルの窓をぼんやりと見上げながら、
「あの子はもう父親から虐待を受けることはないはずだし、だったら、もう援助交際なんてする必要はないだろう? ほかの男に犯されることで父親に復讐しようとしたんだから。だが、けっきょく俺はミーナちゃんを抱いた。ふるえている彼女を見ていたら、どうしようもなくミーナちゃんがいとおしく思えてきてね。ますます傷つけてしまうことになると知っていて、やめられなかったんだ。それ以来、ほぼ週イチで会っている」
小川さん――最近では美菜子ちゃんと呼ぶようになったんだけど――からは一条さんとのことは聞いている。父親からくりかえし強姦され、母親がそれを見て見ぬふりをしていた、そんな性虐待の被害者のままでいたくない、そのためにはやっぱり援助交際をしてみたい、と彼女は言っていた。だから、あたしはあの子に、身を守る方法や男を見定める方法、自分の価値を高く見せる方法なんかを教えてあげた。
美菜子ちゃんは新しいアイデンティティを求めている。援交少女というのが正しいかどうかはわからない。だけど、もしも傷つくことがあったとしても、それは美菜子ちゃんが自分で掴み取らなきゃいけないものだ。
「俺は自分でも自分のことがわからなくなっているんだ」
と、一条さんはつづけた。
[援交ダイアリー]
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