おしっこガールズ (08)Fin

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 ショーツだと急に下半身が冷えたような心細さを感じた。

 エリはおなかに手を当てて深呼吸した。

 いまここでトイレを済ませておいたほうがいいだろうか? いや、いまは出ない。

 おむつに頼るのは間違いだ。それじゃ何も解決しない。

 だからといっておむつを穿かずに頑張るというのでもない。それじゃ前と同じだ。

(おむつを穿いて、わたしは自分の弱さを受け入れた。その分だけいまのわたしは強くなったはず。わたしならできるッ)

 意を決して、エリはトイレを出た。

 会議室に戻ると、参加者は五人に増えていた。またユキさんと目が合った。エリの様子が変わったのに気づいたのか、すこし不満そうに眉をひそめた。エリは自分に自信があることを示そうと無理やり笑みを浮かべてみせた。

 開始時刻になった。エリは自己紹介をして、この場を与えてくれたことに感謝の言葉を述べた。でも、意に反して声が震えてしまった。

 エリは一拍置いて深呼吸をすると、

「わたし、いますごく緊張してます」

 と、苦笑した。

 そのセリフにユキさん以外の人たちは「そりゃそうだよな」という顔で笑った。

 エリはプレゼンを始めた。努めてテンポを抑えて早口にならないよう意識した。けっしてリラックスできていたわけではない。暗記していたセリフはところどころで飛んでしまうし、練習したとおりにはできなかった。噛んでしまうたびに背中がチリチリして冷や汗が流れた。それでも伝えなければいけないキーワードは押さえた。ユキさんを含む五人の聴衆の顔を順に見ながらプレゼンをつづけた。

 エリは緊張していたけれど、その緊張を楽しめていた。そのことに気づいたとき、初めて気持ちが楽になった。

 説明を終えると、話し忘れたことがないか一瞬だけ考えた。でも、何をどう話したのかよく思い出せなかった。

 次は質疑応答だ。質問して欲しかったところを聞かれたときは笑顔で答え、思いもしなかったことを聞かれたときはしどろもどろになりながら何とか切り抜け、参加者の間で新しいアイデアが議論されたときは先輩社員たちの発想力に感嘆した。

 ユキさんは何も質問せず、ずっとエリのことを見ていた。その表情からは何を考えているのかうかがい知ることはできなかった。

 すべてが終了したとき、エリは自分が尿意のことを忘れていたことを思い出した。

 参加者が会議室を出て行きはじめると、エリはホッと息を吐き出した。六十五点くらいの出来栄えだっただろうか。うまくできたとは到底言えないけれど、いまの自分にできる精一杯のことをやれて、エリは満足していた。

(おむつなしでもできた。次はもっとうまくやれるかな)

 ところがパソコンを畳んで出ていこうとしたエリをユキさんが呼び止めた。

 ユキさんはすこし残念そうな顔をして、小声で尋ねた。

「あなた、最初に部屋に入ってきたとき、おむつを穿いていたでしょう?」

 エリは青ざめて固まった。な、なんで気づかれたの? という顔をユキさんに向ける。おむつを穿いてみればというのは後輩への意地悪か、でなければ単にからかっただけなんだろうから、それを真に受けておむつを穿いてきたエリにさらに嫌味を言うのではと覚悟した。けれどユキさんは思わぬことを口にした。

「それなのに出ていったかと思うとおむつを脱いできちゃうし……。おむつなしでプレゼンをやり遂げてしまうし……。緊張を克服できたのならおむつを穿かなくなってしまうのかしら。エリさんならおむつファンになってくれそうな気がしていたのだけれど。ランジェリーショップには行ってみた?」

「は、はあ……。行きましたけど……」

 ユキさんはすこし明るい顔になった。

「どうだった? かわいいおむつがたくさんあったでしょう? どんなおむつを買ったの? これからもおむつを着けてくれたらうれしいわ」

 そこまで言われてエリはユキさんのことを誤解していたことを悟った。ユキさんは元からおむつ派で、エリに仲間になってほしかっただけなのだ。それでユキさんの下半身に目をやった。

「あの……、もしかしてユキさん……、いま、おむつを……?」

 ユキさんは顔を赤らめてちいさくコクリとうなづいた。

「わたし、ユキさんに言われておむつを買ってみたのですけど、穿いてみたらすごく気持ちよくて、とても安心できたんです。でも、頼りすぎちゃダメだと思って。だから、おむつを着けずにプレゼンに臨もうと思ったんです。おむつを好きでいるために。おむつの世界を教えてくれて、ユキさんには感謝しています」

 仲間ができた喜びで、ユキさんは好きな男子から告白された女子高生みたいな顔になった。エリの予測ではもうじきおむつブームが一般にも認知されるようになる。そうなったらユキさんみたいな人もおむつ好きを隠さなくてよくなるだろう。

 ユキさんはいつもの自信に満ちた態度に戻った。

「ところで、わたしトイレに行きたくなってきたのだけれど。エリさんもじゃない?」

「じゃあ、わたし、トイレに行っておむつを着けてきます」

「待っているわ。外のテラス広場に行きましょう。きょうは天気もいいし」

「はいッ」

 誰かと連れ立ってトイレに行くなんて学生時代以来だ。あ、トイレじゃないか。

 エリは満面の笑顔を浮かべた。

 自然が呼んでいる。

おわり

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