声が聞こえる。あたしを嗤う声。
『便所女』
みんなが言ってる。
『あの子、便所女なんだって』『きったねー、便所女に触っちゃったよ』『ストレス発散にヤラせろ、便所女』『便所女なんだから、うちらのおしっこ飲めるよね』……。
いやだいやだいやだ!
消えろ消えろ消えろ!
ボディソープを付けたスポンジでゴシゴシこする。
泣きながら肌が赤くなるまでこすったけど、落書きされた文字はちっとも消えない……。
気が付くと、あたしは知らないバスルームの床にうずくまって、声を上げて泣いていた。握りしめたシャワーヘッドから噴き出すお湯が音をたてて床を濡らしている。
記憶が途切れてる。
ここは一条さんのマンションの浴室のはずだ。精液はまだ完全には洗い流せてなかった。中にも出されてた。半中半外だ。たぶん、中で出してしまって、あわてて引き抜いたんだろう。セックスのあとバスルームに逃げ込んだみたいだけど、ぜんぜん覚えてない。落書きの文字はもちろん消えてた。
思い出したくない生き地獄。トラウマの記憶はいまでも鮮明だった。
あたしはヤリマンであることを受け入れた。でも、呪いは解けてない。
バスルームを出て服を着ると、ふらつく足取りでリビングに戻った。
トラウマはあたしの事情だ。一条さんには関係ない。演技をつづけないと……。
お金がすべてじゃないと、彼に言ってあげないと……。
もう服を着てソファに寝そべっていた一条さんは、あたしに気付くと体を起こした。
あたしは一条さんには構わず、テーブルの上に放り出されたままになっていた札束に飛びついた。それを迷子の子犬のように胸元に抱きしめた。また涙があふれてきた。
あたしには価値がある。
百万円払っても抱きたいと言ってくれる人がいる。
「そのカネは沙希のものだ。そんな大金、見たことないだろ?」
だけど、お金で買える程度の価値でしかない。
「やっぱり、世の中、お金がすべてですよね。むりやり犯されたのに、それだってお金で解決できるんだから。大丈夫です。お金をもらったんだから警察に行ったりしません」
こんなセリフを言うはずじゃなかった。けど、止まらない。
「コンパニオンのバイトします。おおぜいにレイプされたって、フーゾクに売られたって。どうなったっていい。もうどうでもいいです! あたし、好きな男の子だっているのに! もう、一生、恋なんてできない!」
「おい、落ち着け。興奮するな」
「こんなことするんじゃなかった。でも、もう遅いですよね。きたないカラダになっちゃったから、これから何人の男の人に汚されようと、もう関係ないです。これからは死ぬまで売春して生きていきます」
そう言い捨てて部屋を飛び出した。
どうしてそんなことを言ってしまったのかわからない。
一条さんを憂鬱な気持ちにさせるつもりはなかったけど、自分でもどうしようもない。
ただ、ともかくも一条さんはあたしを忘れられないだろう。
翌日、月曜の朝にはあたしの心はすっかり調子を取り戻していた。一条さんとの援助交際はビターエンドになっちゃったけど、こういうこともある。気にしたってしょうがないし、いま気にすべきことはほかにある。
小川さんが父親から性的虐待を受けてるのかどうかも気になるけど、他人には知られたくないだろうし、知られたかもしれないと思うことすら耐え難いはずだ。不安な気持ちにさせたくはない。それでも、援助交際を疑われてないかどうかを確かめる必要がある。
あたしは昼休みに一年D組の教室に行った。
入り口から中を覗くと、すぐそこに岩倉が立っていて、目が合ってしまった。そーいえばこいつもD組だった。岩倉は戸惑ったような表情で頬を赤らめた。あたしはため息をついた。あたしが告白に来たとでも思ったのか?
「美星……。な、なんだよ。俺に何か用かよ」
「あんたに用はないよ、ホモオくん」
岩倉の反応を無視して教室の中に視線を走らせると、ちょうど前の入り口から小川さんが出て行くところだった。
廊下に戻って小川さんに近寄ろうとしたら、あたしを避けるように早足になった。
「小川さん、ちょっといいかな」
背後から声をかけると、小川さんが駆け出した。そのまま廊下を曲がって、階段を上がっていってしまった。
完全に避けられてる。そう思ってしばし呆然となったけど、なんとなく不穏な気配を感じてあとを追うことにした。四階まであがっても小川さんの姿は見つからず、とうとう屋上に出た。
そこで、転落防止用の柵を乗り越えようとしている小川さんを見つけた。
[援交ダイアリー]
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