大好きなお兄ちゃんへ (4)
眠ってしまうつもりはなかった。眠り込んでしまった覚えもなかった。けど、気がつくとベッドの脇にお兄ちゃんが立っていて、あたしを見下ろしていた。呆けていたのは一瞬だけだった。あたしは悲鳴をあげて起き上がると、ベッドの上を壁際まであとずさり、膝をかかえて小さくうずくまった。お兄ちゃんの表情が凍りついているのをみて、その姿勢だとパンツを脱いだままのあたしのアソコが丸見えなのに気づいた。あわててミニスカートを押さえて、身体をかがめた姿勢になって、大事なところを隠したけど、もう手遅れだった。
「あわ、あう……」
何か言わなきゃと焦るのに、口がうまく動かない。顔中が熱い。滑稽なくらい真っ赤になっているに違いない。
そのとき、お兄ちゃんが何かを手にしているのに気づいた。
あたしのノート!!
頭に血が上った。考えるよりさきに身体が勝手に動いた。下半身を隠すのも忘れ、あたしは悲鳴をあげてお兄ちゃんに飛びかかると、ノートを乱暴に奪い取って、また壁際に逃げ戻った。ノートを抱きかかえてうずくまった。あたしは暴漢に襲われたようにおびえて、泣いていた。
お兄ちゃんは身動きできない様子で、顔は青ざめていた。
「み、見た?」
やっとそれだけ言えた。
「あの……」
「ノート、見た?」
問い詰めるようにくりかえす。
アソコを見られただけなら別に構わない。どうせ中学一年のときまで、一緒にお風呂に入っていた仲だ。お兄ちゃんのアレだって間近にみたことがある。でも、このノートは……。
「見たんでしょ!」
見られたに決まっている。お兄ちゃんはノートを開いて持っていたんだから。最後に書き込んだページを開いて持っていたんだから!
「ああ、その……」
お兄ちゃんはあたしから目をそらして言いよどんだ。やっぱり見たんだ。
「出てってよ! お兄ちゃんのバカ! 早く出てって!」
カッとなったあたしは、立ち上がってお兄ちゃんを無理やり部屋から追い出すと、ドアを閉めた。外から開けられないよう、つっかえ棒をするつもりで、ドアの内側に背中をもたれて座り込んだ。しばらくドアの外にお兄ちゃんが立っている気配があったけど、やがていなくなった。
あたしは嗚咽をもらしながら、膝に顔をうずめた。二十分か、三十分か、とにかくあたしはずいぶん長いことそうして泣いていた。
わかってるんだ。お兄ちゃんが悪いわけじゃない。
お兄ちゃんは優しいから、あたしの宿題を見てくれようとしてたんだ。あたしが、宿題があるって言ったから。
ドアをノックして入ってきたら、あたしは眠り込んでいて。
そばにノートがあって。
ノートの表紙には「大好きなお兄ちゃんへ」って書いてあって。
お兄ちゃんがそのノートを自分に宛てたものだと思っても無理はない。
家を出て行く兄に向けて、妹が何か無邪気なメッセージをしたためたものだと思っただろう。カワイイとこあるな、とか思ったりしたかもしれない。
けれど、そのノートに書いてあるのは……。
お兄ちゃんとセックスしたい。
そんな、誰にも知られたくない、一番恥ずかしい、あたしの本当の気持ち……。
見られちゃった。お兄ちゃんに知られちゃった。ずっと隠し続けておくつもりだったのに。ずっと心の奥にしまっておくつもりだったのに。
気持ち悪い子だと思われたかな?
変態だと思われたかな?
嫌われ……、ちゃったかな……?
あたしは顔を伏せたまま、恥ずかしさと後悔に身を縮こまらせた。自己嫌悪だ。この先、どんな顔をしてお兄ちゃんに接すればいいのか。もうまともにお兄ちゃんの顔を見れないよ。お兄ちゃんだって、気まずいに違いない。
そう思ったとたん、そんな心配は無用だと思い至った。
(ああ、お兄ちゃんはもういなくなるんだった……)
お兄ちゃんがこの家で過ごすのはあと一週間だけだ。それなのに、あたしは最後の最後で大失敗をしてしまった。もしかしたら、お兄ちゃんは何も言わずに、表面上は普通に接してくれるかもしれない。いや、お兄ちゃんのことだ。きっとそうだろう。でも、内心は気まずいはずだ。
この一週間、お兄ちゃんと顔を合わせずに済めばどれほどいいかと思う。夏休みになってお兄ちゃんが帰省したときには、多少ぎこちないとしても、きっと普通に話しもできるんじゃないかと思う。お正月に帰ってきたときには、笑い話にできるのだろうか。そもそも会えないんだから、お互い気まずい思いをしなくても済む。それは不幸中の幸いだと思った。
そう思うと、少し気が楽になった。あたしは顔をあげ、涙をぬぐった。
そのとき、お母さんが呼ぶ声がした。お風呂に入りなさいよー、もう麻衣が最後だからねー。時計を見ると、十一時を過ぎていた。自分がどれほど長いあいだ泣いていたのかと思うと、なんだかおかしくなった。
あたしは立ち上がって、かかえていたノートを見た。そのノートはもう一人のあたし。お兄ちゃんに恋焦がれ、いまは恥ずかしさで、かわいそうなくらい落ち込んでいるあたしの気持ちそのものだった。あたしはノートを通して自分に話しかけるつもりで言った。
「元気だそうよ、麻衣。きっと、また元どおりの兄妹に戻れるよ」
ばかなあたし。あたしの望みはそんなことじゃないのに。
不意に、いままでとはまったく違った考えが浮かんだ。その考えが明瞭な形になっていくにしたがって、興奮が高まっていく。それまでぼんやりしていた頭の中が急速にクリアになっていくのを感じた。
あたしの望みはそんなことじゃない。
そう思った。落ち込んでいたのがウソのようだ。あたしは力が湧いてくるのを感じた。ノートを見られたのは不幸な事故だったかもしれない。しかし、ピンチはチャンスという。考えれば考えるほど、これはチャンスのように思えてきた。
あたしはノートの表紙をながめ、いままでの一年を思った。
お兄ちゃんと恋人同士になること、そこまでは望むまい。お兄ちゃんにだって選ぶ権利はある。ただ、あたしの気持ちを伝えたい。あたしがお兄ちゃんのことをどれほど愛しているか、あたしがどれほど真剣かを伝えたい。拒絶されてもいいんだ。気まずくなってもいい。そんなものは会えない時間が解決してくれる。
お兄ちゃんに告白する!
最初から諦めていたあたしは、そんなこと考えたこともなかった。許されないことだと思っていた。でも、もう気持ちを知られてしまったんだ。この際、中途半端な形ではなく、ちゃんと伝えたい。
いましかないような気がした。最初で最後の告白のチャンス。でも、チャンスは一度あれば十分だ。
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