ピンクローターの思い出(12)

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 階下のリビングからクラスメートたちの騒ぐ声が聞こえてくる。部屋に来てからどのくらいの時間がたっただろう。まどかは改めて自分のしたことの危うさを感じた。

「あの……、新田……、その、ぼくは……、ゴメン……」

 うなだれた雄太がかすれた声でつぶやいた。

「あたしが悪いの。ごめんね。中川くんには宇田川さんっていう彼女がいるのに。ちょっと悪い子になってみたかったんだ。あたしさ、援交してる不潔な子ってバカにされてる。大人の男の人とエッチなことをしてお小遣いをもらってるって軽蔑されてる。新田が触れたものに触っただけで手が腐るってバイ菌扱いされてる。言いがかりだって否定しても、逆に囃し立てられるだけ。だけど、これからはこう言い返せる。『エッチなことしてますけど、何か?』ってね。だから、中川くんがあたしに触れたいと思ってくれたこと、うれしかった。大丈夫だよ、宇田川さんには内緒にするから。このことはあたしと中川くんの二人だけの秘密。あたし、やっぱり帰るね。さよなら」

 まどかが立ち上がると雄太に手をつかまれた。

「新田……、学校キャンプには来るよな?」

 まどかは唇を噛んだ。こうなった以上、ズル休みするつもりだったのだ。

「あたしがいない方がみんなも楽しめると思う」

「そんなのダメだ! 学校行事なんだからちゃんと参加しろよ」

 心が揺れた。もう雄太には会わずに転校してしまうつもりになっていた。でも、引き止められたことで思い直した。最後の思い出はもっと小学生らしいものにしたいと。

「キャンプファイヤーでフォークダンスがあるじゃない。きっとあたしは避けられる。中川くん、あたしと踊ってくれる? だったら参加する」

「約束するよ」

 それを聞いてまどかはかすかに微笑んだ。

 部屋を出て階段を下りたところで優子と鉢合わせになった。雄太がなかなか戻ってこないので様子を見に来たのだろう。

「何やってたの?」

 と詰問されて、まどかは「別に」とだけ答えた。それが優子は気に入らなかったらしく、まどかの腕をつかんだ。雄太がまどかをかばおうとしたけど、優子の厳しい表情に動けない。リビングにいた男子が雄太を呼んだ。まどかが目配せすると、雄太はためらいながらリビングに戻って行った。

「新田さん、中川くんにちょっかい出さないでって言ったでしょ。横恋慕もいいかげんにして。援交してる子なんかが近づかないでよ、いやらしい。キャンプも来ないで」

 まどかは嘲るような目で優子を見つめ、ニヤリとした。

「あんたさァ、中川くんとキスしたことある? 付き合ってるんでしょ? キスくらいしてるよねェ?」

 そう言いながら人差し指で自分の唇に触れ、クスクスと笑った。優子は目の前に大きなドブネズミが現れたかのように、恐怖と嫌悪と怒りが混じった顔になった。

「新田さん、あんたは最低のクズだ」

「あっそ。だから何? 胸も触らせてあげたら? あ、おっぱいはあたしの方が大きいね。宇田川さんは貧乳――」

 いきなり優子が平手打ちをした。それでも怒りが収まらない様子でまどかをにらんでいる。まどかは我に返って、熱く痛むほっぺたを押さえた。横恋慕と言われたことで腹を立て、ちょっと悪女っぽくからかってみただけだったのだが、優子を傷つけたことを後悔した。ただ、優子がまだ雄太とキスしていないと悟って少し優越感を感じた。そんな自分が悲しくなった。

「ごめん、宇田川さん。でも、キャンプには参加するから」

 優子が何も言わずに頬を震わせているのを見て、まどかも黙ったまま雄太の家を後にした。

 そして、学校キャンプの当日。

 体操服で学校に集まった六年生たちは、それぞれの班に分かれてテントを張ることになった。まどかはテントにもペグにも触らせてもらえなかった。同じ班の二人はまどかを無視し続け、まどかが何か手伝おうとすると無言で突き飛ばした。

 レクリエーションの時間もまどかは誰にも相手にしてもらえず、一人ぼっちで見ているしかなかった。担任は「もっと友だちと協調しなさい、人は一人では生きていけないのよ、そんな態度でこれからどうやって生きていくつもりなの」と小言を言った。お前の知ったことかブスババア、と、まどかは心のなかで毒づいた。別のクラスの男性教師が寄ってきては「相手がいないなら先生とペアになるか?」などとセクハラをしてきた。小学生でも性的な視線は見抜くものだ。まして、まどかは体で知っている。声をかけられるたびに顔をしかめて逃げた。

 夕食の準備にも参加させてもらえなかった。クラスメートたちのおぼつかない包丁さばきをヒヤヒヤしながら見ているだけだった。まどかは料理ができるので、もし調理をさせてもらえれば皆の称賛を集めただろう。かわりに注目されたのは優子だった。料理教室の先生のように、あれこれ質問され、そのすべてに丁寧に答えていた。

 やがて日が落ちて、キャンプファイヤーが点火された。

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