ないしょのお兄ちゃん (05)
愛良の気持ち
壮一郎のお弁当に時間をかけすぎたせいで自分のを作るひまがなかった。購買でパンを買ったあたしは、なんとなくひとりになりたくて、そのまま中庭のすみにあるベンチに腰を下ろした。
あたりは青葉が芽吹く春の匂いに満ちていた。
夏を待ち焦がれる虫たちのように心がざわめく。
(柚木せんぱい……か)
思わず両手でほっぺたを押さえた。
(恥ずかしいけど……、なんだかドキドキが止まらない)
午前の授業中、ずっと壮一郎のことが頭から離れなかった。けさお弁当を渡したときのように、他人どうしだったらどんなによかっただろう。はたからみたらキモいブラコン女子かもしれないけど、あの場にいたひとは誰もあたしが壮一郎の妹だとは知らない。だったらもっと堂々と渡せばよかったかな。
そう思うと、兄と妹ではなく、かっこいい男子にあこがれる後輩の女子になったような気分だ。ほんとにそうだったらな。
(あきらめるしかないんだけど……)
堂々めぐり。
あたしはお兄ちゃんの彼女にはなれない。
そんなことわかってる。
(だけど……)
失恋することが決まってる恋でも――。
こんなにつらい気持ちになるのだとしても――。
お兄ちゃんのことを想うと、生まれてきてよかったと思える。
と、そのときだ。
「一年の柚木愛良ってアンタのことだよね?」
いきなり声をかけられた。
あたしはショコラパンをもぐもぐしながら、顔をあげた。
ふたりの女子生徒があたしの前に立っていた。腕組みをして、威圧するような目で見下ろしている。ふたりとも三年生だ。
「柚木愛良だよね?」
セミロングの子がくりかえした。
「はあ……。そうですけど」
「ちょっと話があるんだけど。顔貸してくれる?」
と、ベリーショートの子が言った。
一年生になめられてたまるかという態度がにじみ出ている。ヘタな対応したら何をされるかわかったものじゃない。
ふたりから一歩ひいたところにもうひとり三年生の女子が立っていた。メガネをかけた地味な感じの生徒で、こっちの子はオロオロするような表情で見ている。どうやらふたりがあまり乱暴なことをしないよう止めに入りたいのだけどその勇気が出ないといったふうだ。
(なんなの、このひとたち)
まったく心当たりがないので、どう反応していいかわからない。思わずショコラパンをひとくちパクッと食べてしまった。するとセミロングの子が顔を真っ赤にして、
「のんきにパンなんか食べてるんじゃないよ! あんたに話があるって言ってんだろ!」
「ちょ、ちょっと、戸川さん、そんな乱暴な言い方しなくても……」
怒鳴られたあたしがビクッと体を震わせたのを見て、メガネの先輩があわてた様子でそう言った。
戸川と呼ばれた先輩がメガネの生徒をにらみつけた。
「ちひろ、これもあんたのためなんだよ」
「そうだよ、高槻さん。こんな一年生に好きにさせていいの?」
メガネの生徒は高槻ちひろという名前らしい。といっても、その名前にもまったく聞き覚えがない。
入学したてで上級生の不興を買った覚えもないけど、人違いというわけでもなさそうだ。とすると、けさ壮一郎の教室に弁当を届けたときに目をつけられてしまったのかもしれない。
あたしはパンをしばらくもぐもぐしてから飲み込んだ。
こーゆーのは壮一郎の持ってたマンガで前に読んだことがある。
学校を仕切ってる上級生が生意気な新入生に焼きを入れる、というやつだ。
マンガの中だけの話だと思ってたけど、まさか自分の身に降り掛かってくるとは。
助けを求めようにも、あたりにほかの生徒はいない。どうしよう……。
(ま、まあいい。こう見えてもあたしはケンカは強いんだから。小学生の頃は男子相手でも一歩も引かなかったくらいだもん)
と、正直ちびりそうな自分に言い聞かせた。
大事なのは精神面で押し負けないこと。呑まれないことだ。こういうのは最初が肝心なんだ。
あたしは膝をガクガクさせながらゆっくり立ち上がると、戸川先輩を正面から見た。
「それで? 先輩方、あたしに、な、何の用ですか? 言っときますけど、ぼ、暴力や脅しで人をどうにかしようなんて、そんなんで誰でも言いなりになると思ったら大間違いですよ」
「なに言ってんのよ」
「せ、先輩たち、スケバンってやつでしょ? スカートだって長いし。あたしをどうしようっていうんですか」
ちなみにスケバンというのは女子のヤンキーのことだ。古いマンガだったからちょっと違ってる部分もあるけど、こいつらそうにちがいない。
あたしの指摘に戸川先輩はますます顔を赤くした。
「うちらは不良じゃねえ! スカートは膝が隠れるくらいの長さが普通なの! あんたのスカートが短すぎるんだよ。そこまでミニなのは校則違反だろ。それに髪にリボンなんか結んじゃって、そんなに男に受けたいのか!」
「この子、きっとヤリマンだよ。柚木くんにふさわしくない」
と、ベリーショートもあざ笑うように言った。戸川先輩も同じように笑って、
「ああ、そうだね。あんなキモチ悪いお弁当なんか作ってきて柚木に取り入ろうなんて、入学早々とんでもない発情メスガキだよ」
やっぱり壮一郎絡みだったか。
いまのセリフからすると、おおかた壮一郎のファンの子が『抜け駆けするんじゃないわよ』とか文句を言いに来たってとこかな。あたし、妹なんだけど。
でも……。キモチ悪いお弁当だとぉ? あたしも内心ちょっとどうかと思っていたし、片想いの男子にあんなお弁当を作ってくる子がいたら同じようにキモいと思っただろうけど、他人から言われると腹が立つ。
反論しようと口を開きかけたところで、戸川先輩が憐憫の表情を浮かべてこう言った。
「柚木はさぁ、もう付き合ってる彼女がいるんだよ」
言いながら、戸川先輩は高槻先輩の方に視線を向けた。
「ちょ、ちょっと戸川さん! わたしと柚木くんは――」
顔を真っ赤にしてあわてふためく高槻先輩を無視して、戸川先輩はあたしをにらんだ。
「だからいまごろあんたみたいなお子ちゃまがしゃしゃり出てきたって無駄、無駄、無駄ァ、ってわけ。これ以上、恥かくまえにあきらめな」
「……」
な、なんだって……?
壮一郎に彼女なんていないぞ。そんな気配なんてみじんもないんだから。
「先輩たち、なにデタラメ言って――」
「柚木とあの子はな、もう深ーい仲なんだよ。この『深い』って意味、わかる? お子ちゃまにはわかんないかもなぁ。このところよく保健室でふたりきりで過ごしてるんだよなぁ。ナニをしてるんだろうなぁ」
「ととと戸川さん! なにデデデデタラメ言ってるの!」
「だって、きのうだって柚木とふたりで保健室にいってただろ、一時間も」
「そ、そうだけど……! それは、わたしと柚木くんが――、ていうか、一年生相手になにエッチなこと言ってるのよ!」
高槻先輩はすっかり取り乱していた。
あたしはショックで頭が混乱して何も考えられなくなっていた。
戸川先輩は意地悪タイプだ。相手をやり込めるためならウソも平気でつくだろう。けど、高槻先輩はちがう。この人は戦いに慣れてないし、ウソをつけないタイプだ。
それでこの慌てっぷり。まさか、ホントに壮一郎の彼女……?
「プッ、ちょっと、戸川。この一年生、泣いちゃいそうだよ。カワイソー」
たぶんあたしは青ざめていたんだろう。
戸川先輩は勝ち誇った様子でニヤリと歯を見せた。
「まあ、そういうこと。わかったらもう柚木に言い寄ったりするんじゃないよ」
言い返せなかった。
呆然として身動きすらできなかった。
あたしの様子を見て、戸川先輩は満足そうに鼻を鳴らすと、高槻先輩の背中を押しながら、その場を去っていった。
しばらくして、あたしは立っていられなくなり、ベンチに崩れた。
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