飛ばされた先は、爆発したお菓子の家の裏手にあった巨大ショートケーキだった。ケーキにぶつかる寸前、触手は動きを止めて、それから生クリームの上に彩香を放り出した。
ケーキに塗られた生クリームの層は彩香の膝ほどの深さだ。触手から自由になった彩香は、必死に怪物から逃れようと生クリームの中を泳いだ。
自分の体より大きなイチゴまでたどりつくと、立ち上がって美緒の姿を探した。美緒は十メートルほど離れたところで生クリームに埋まっていた。何本もの触手がもてあそぶように美緒の体を突っついている。美緒は手足をバタバタさせて抵抗していた。
「美緒ッ」
美緒がまだ食べられていないのを知って、彩香はホッとした。
そのとたん、触手の群れが彩香に襲いかかってきて、あわてて生クリームの中に身を伏せた。触手は巨大イチゴにからみつくと、ぎゅうぎゅうと締めあげた。ぐちゅっ、という音を立ててイチゴがつぶれた。果汁のしぶきが彩香の顔にかかった。
お前もこうしてやるぞとでも言いたげに、触手は彩香の体にイチゴ果汁をふりかけた。まるで大量の血を浴びせられたかのように、彩香は恐怖で動けなかった。
もしこれが本当のエステなら、これも一風変わった施術ということになるのだろう。イチゴは美容にいいというし、イチゴ果汁を使った化粧品も売られている。いまの彩香にはそれが悪い冗談に思えた。
「彩香! 大丈夫? いま行くから」
美緒が生クリームをかきわけて彩香の方へと近寄ってきた。触手はいつでも美緒を捕まえられる距離を保って、頭上でゆらゆら揺れている。彩香は美緒の方に這いながら手を伸ばした。触手が襲ってこないのを見て取ると、彩香はよろよろと立ち上がって、美緒に駆け寄った。
「彩香、しっかり」
倒れこんだ彩香を美緒が抱きとめた。彩香は二度と美緒と離れまいと、美緒の体にしがみついた。震える彩香の体を美緒がぎゅっと抱きしめた。現実とは思えないこの状況で、美緒の体温だけは確かな手がかりだった。彩香は安心感を覚えた。
しかし逃げ場はない。巨大ショートケーキの裏手は壁になっていて、ドアも窓も見当たらなかった。周囲は無数の触手に取り囲まれている。さっき見た牙の生えた怪物の口が脳裏をよぎった。
「あたしたち……、どうなっちゃうのかな……」
彩香がつぶやくと、美緒は何も答えずに彩香を抱く腕に力をこめた。
不意に彩香は体の奥が熱くなってくるのを感じた。胸がドキドキする。
美緒が乳房を押し付けてくる。触れ合う乳房と乳房にしびれるような感覚。
全裸で抱き合っている美緒に対する愛しさ。
恐怖感を上書きしてしまうほどの戸惑いを覚えた。
怪物に食べられようとしているいま、ひどく場違いな感覚だった。認めることなど決してできないのだが、その感覚の正体にはうすうす気づいている。高校の頃から何度も感じ、感じるたびに必死に抑えつけてきた、友情を超えた気持ち――。
死を目前にしておかしくなっているのだ、と彩香は思う。女同士で恋愛感情なんてあるわけないのに。
「もっと早くこうしていればよかった……」
突然、美緒が悲壮感をただよわせる口調で言った。
そしてキスをしてきた。
抵抗する間もなく舌を入れられた。
舌を吸い出され、しゃぶられ、押し戻され、また舌を入れられ……。
激しい嫌悪感に、彩香は強引に美緒を押し返した。
美緒は泣きそうな顔で彩香を見ていた。
「彩香のこと、ずっと好きだったの。中学のときからずっとあなただけが好きだった。友達として好きって意味じゃないのよ。わたしは女が好きな女なの」
美緒はおかしくなっている、と彩香は思った。その意味では自分もまたおかしくなりかけているのだが。
「こんなときに何を言い出すんだ。気をたしかに持て。美緒だって彼氏がいるんだろ? 男性経験あるって言ってたじゃないか」
「それは彩香が『レズビアンなんてキモチ悪い』って言ったからよ。あなたに嫌われるくらいなら、誰でもいいからセックスしてやれって思った。バージンなんて出会い系で会った名前も知らないおじさんにあげちゃったよ。バカなことをしたって後悔してる。男の人なんてキモチ悪いだけだった。やっぱり、わたしは彩香でなきゃダメなの」
「美緒……、いったい何を言って……」
「ゴメン、彩香。こんなのキモチ悪いよね。でも、生きてるうちにどうしても伝えておきたかったの」
そう言って美緒は顔を伏せた。
彩香は心が震えるのを感じた。
これまでどの男性にも感じたことのない気持ち。
「美緒……、あたしは……」
体が熱い。
美緒に何と答えればいいのだろう?
そのときだ。何かを待っているようにずっとまわりで揺れていた触手が、いっせいに彩香と美緒に襲いかかってきた。
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