男の娘になりたい (17)

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 菜月はそっとその場を離れた。

 うまく働かない頭をむりやり回転させて、どうすればいいか必死に考えた。

(歩夢の性自認は女。だから自分が好きになるのは男性のはず。なのに男子に対して恋愛感情を持てない。そのことで悩んでいたんだ。つまり、歩夢は同性愛者……)

 その表現が正しいのかどうかは迷うところだけれど、すくなくとも歩夢はそのことで悩んでいたのだ。自分で思っているよりずっとおかしい人間なのかも、というのはそういうことだ。女なのに男の体に生まれてしまっただけでなく、心が女なのに同じ女を恋愛対象としてしまう。ねじれているから自分の性指向に自信を持って向き合うことができずにいたのだ。

 でも、歩夢は自分が同性愛者――歩夢を女だと認めるなら同性愛という表現でおかしくない――であることをとうとう受け入れた。

(男になって歩夢に告白しようと思ったけど、女に戻ってスカートを穿いた方がいいかも。歩夢の恋愛対象が女子だというのなら、あたしにも可能性がある)

 そう思いかけて菜月は頭を抱えた。

 自慢のロングヘアをバッサリ切ってしまったことを激しく後悔した。

 それだけではない。

(歩夢はあたしに、これからも友達でいてほしいと言ったんだ。てことは、あたしは歩夢のタイプじゃないのかも。いや、歩夢が自分の性指向を認めるきっかけが何だったにせよ、それはあたしじゃない。いままでのあたしは歩夢にそんな影響を与えられる存在にはなれなかった。ただの幼なじみでしかなかった。誰か好きな女子がいるのかも。歩夢に恋心を抱かせた子がいるのかも。手作りチョコはきっとその子に渡すつもりなんだ)

 やっぱり自分なんかが歩夢の彼女になれるはずがない、という気がしてくる。

 いままで歩夢の方から気のある素振りを見せたことなどないのだ。

 歩夢が好きなのは男子じゃなく女子だと分かったからといって、ただの幼なじみからステップアップできるわけじゃない。あたしなんかがどう頑張ったって……。

 ――恋愛絡みだと弱気になるのは菜月の悪い癖だよ。

 彩乃のセリフを思い出して、菜月は顔を上げた。

(どんなことであれ、いつまでも悩んで行動しないなんて弱虫のすることだ)

 菜月は購買でスクールリボンと黒タイツを買い、家庭科室に駆け込んだ。

 そして、スラックスを脱ぐと裁ちバサミで脚の付け根から股下部分をバッサリと切り落とした。そのままでは裾がほつれてしまうので、家庭科室にあった裾上げテープを貼り付けてアイロンで接着した。即席のホットパンツのできあがり。

 黒タイツを穿いて、ネクタイもスクールリボンに付け替える。鏡に映してみると、いままで見たことのない自分がいた。ミニスカートのときよりさらに脚の露出が増えている。スタイルがいいので似合っていると思えるけど、改造制服のカンペキ不良生徒。

 これなら十分に女の子だ。

「玉砕上等! あたしの気持ちを伝えるだけで終わるとしても、何もしないではいられない」

 大河の告白タイムももうとっくに終わっているはず。

 スマホを取り出して、歩夢にメッセージを送った。

『バレンタインのチョコを渡したいから、いますぐ校舎の屋上まで来て。待ってる』

 歩夢からはすぐに返信があった。

『ボクも菜月ちゃんにチョコを持っていくね』

 それを見て菜月は微笑んだ。

(歩夢はただの友チョコ交換のつもりなのかもな。チョコをあげる、と言ってしまった方が気が楽だと思ったんだけど。大河に告白された直後に「話したいことがあるから」とだけ言ったんじゃ歩夢も気負ってしまうだろうし)

 だけど、友チョコ交換で終わらせるつもりはない。

 家庭科室からは一階のぼるだけで屋上へ出られる。菜月は屋上の端まで行って、フェンス越しに眼下のグラウンドを眺めた。陸上部が自主練している。掛け声がそよ風にのってかすかに聞こえた。

 日当たりのいい屋上にいると陽光で背中がぽかぽかしてくる。春がすぐそこまで来ているのだ。

 背後で扉が開く音がして振り向くと、歩夢が息を切らせて駆け寄ってきたところだった。大急ぎで階段を上ってきたらしい。両膝に手をついて、ぜえぜえと肩を上下させている。

 その様子を見て、胸の奥に温かいものが広がるのを感じた。

 歩夢が体を起こして、菜月を見た。まだ息が苦しそうだ。

「な、菜月ちゃん、その髪……、制服も……。いったい何が……」

 歩夢が言葉を続ける前に菜月はバッグからチョコレートの包みを取り出した。イチゴ柄のラッピング袋を黄色のリボンで縛ったものだ。手作りのチョコレート。形はいびつだけれど、彩乃のおかげで味は保証済み。

「歩夢、あんたが女の子になってしまって随分戸惑った。でも、やっぱり気持ちは変わらない。ずっと言えなかったけど、あたし、歩夢が好き。子供の頃から好きだったんだ。女の子同士だけど、あたしの彼女になってほしい」

 言えた、という安堵の気持ちが押し寄せた。菜月は歩夢を見つめたまま、チョコレートを差し出した。

 歩夢は言葉の意味が分からなかったかのような顔をして、菜月とチョコの包みを見比べた。その様子に菜月が不安を感じ始めたとき、歩夢が口を開いた。

「ボクは……女の子……だけど?」

「もちろん。歩夢は魅力的な女の子だよ。これは本命チョコだから」

「菜月ちゃんは女の子から告白されてもぜんぶ断っていたじゃん。女同士っていうのに抵抗があるんだとばかり思ってた。それに……、菜月ちゃんは大河くんと両想いなんだとばかり……」

「大河なんかと何かあるわけないだろッ。たまたま仲がいいように見えてるから、みんなが面白半分に噂してるだけだよ」

「うん、それはさっき大河くんにも言われた。でも、高校生になってからは菜月ちゃんになんだか避けられてるような気がしてたから……。だから、男女別制服が廃止されたのに合わせて、もう本当の自分を出しちゃえって思ったんだ。だけど、本当の気持ちは隠しているしかないと思ってた」

 歩夢もバッグからちいさな包みを取り出した。

「菜月ちゃんには告白しても受け入れてもらえないと思っていたから、友チョコのつもりで持ってきたんだけど……」

 歩夢の顔がみるみる赤くなった。

「ボクのも本命チョコだから……。ボクも……、菜月ちゃんのことが好き。子供の頃からずっと好きだった。だから、その……、ボクと……、ボクと付き合ってください……」

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