ふたりだけの残業時間 (04)

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本郷さんは隣の席のイスを引き寄せて腰をおろし、自販機で買ってきたらしい缶を差し出した。ひとつはココアで、もうひとつは生キャラメルミルクセーキと書かれていた。

「あとはファイルをサーバーに格納しておわりだな。遅くまで大変だったね」

「いえ、こちらこそ、本郷さんに残業させてしまって申し訳ないです」

美琴も笑顔で言った。言いながら、ココアとミルクセーキのどちらを取るべきかと考えた。どちらも甘そうだ。よく見るとココアの缶には『大人の贅沢』と書かれていた。ミルクセーキの方はいかにも甘いスイーツな印象だ。美琴はもちろん甘いものに目がないが、本郷さんは男性だし、一般的にいって甘いものは苦手だろう。

「雪村さんの好きな方をどうぞ」

「ありがとうございます。いただきます」

美琴はミルクセーキの缶を取ると、プルタブに爪をかけた。ネイルをやっているので、傷つけないよう慎重にあけようとするが、なかなかうまくいかない。

「俺があけるよ」

本郷さんが缶を取ってプルタブをあけると、また美琴に差し出した。

「あ、すみません」

美琴は礼を言って缶を受け取ると、一口飲んだ。甘くて香ばしい味が口の中に広がった。疲れたときにはちょうどいい甘さだ。プリンを飲んでるみたいな感じだな、と思った。

ふと、美琴をじっと見つめている本郷さんと目が合った。

さきほどの妄想の内容が思い出されてドギマギした。美琴は照れ隠しにあいまいに微笑むと、視線を落とした。

だけど、まだ本郷さんに見つめられているのを感じる。

なにか話さなくちゃ、と焦った。

「あ、あのっ……。これ、おいしいです」

「俺も飲んだことがないんだが、どんな味がするんだ?」

「ひ、一口飲んでみますか?」

本郷さんはすこしためらいがちに美琴から缶を受け取ると、ミルクセーキを味見した。それからもう一口飲んで、笑顔になった。

「プリンを飲んでいるような味だね。こんど俺も買ってみよう」

「もしかして、本郷さんって甘党なんですか?」

美琴が意外に思って訊くと、本郷さんは照れて頭をかいた。その様子に美琴は心をかき乱された。なんだがとてもカワイイと感じてしまったのだ。

「男が甘いものが好きなんて変だろ?」

「うふふ、そんなことないですよ。あ、ココアも飲んでみたいな。一口いいですか?」

普段は見たことのない一面を知って、美琴は本郷さんとの距離が縮まったように感じた。それがなんとなくうれしくて、もっとこの人となかよしになりたいなと思った。

ココアを受け取って一口飲んだ美琴は、無邪気な笑顔を浮かべて、「おいし」と言った。

美琴がふたたびミルクセーキに口をつけると、本郷さんがすこしあわてたような表情を見せた。さきほどから本郷さんは美琴が何かを飲むたびに妙な顔をする。

「どうかされましたか?」

「あ、いや、なんでもない。ただ……、間接キスになってしまったと思って」

一瞬言葉を失ってしまった。

「や、やだなぁ、本郷さんてば。中学生じゃあるまいし、大人なんですから間接キスなんて気にしないですよぉ」

「それもそうだよな」

キスの経験がないどころか男の子と付き合った経験もなかったけれど、それでも実際、二十歳にもなれば回し飲みごときで間接キスなどと騒ぐことはない。しかし、静まり返った夜のオフィスでふたりきり。しかもなんだか気になり始めた男性から『間接キス』などと言われては、妙に意識してしまう。

気にしないようにと思いながら、ぎこちない仕草でミルクセーキを飲む。そのとき肘が本郷さんの腕にかすかに触れた。美琴は顔を赤らめて腕を引っ込めた。

気まずい沈黙。

心臓の音が聞こえてしまいそう。

何も言おうとしないけれど、本郷さんも言い知れぬ緊張感をただよわせている。

――もしかして本郷さんはあたしを女として意識してるのかな……。

うう、なんか緊張するよぉ。間が持たないよぉ。

すると本郷さんがさりげなくイスを移動させて、あたしとの距離を詰めてきました。

なんだかすごく危険な雰囲気です。

どうしたらいいかわからなくなっちゃって、あわてて離れようとしました。

そしたら、本郷さんに肩を抱かれて引き寄せられました。

「キスしてみようか、雪村さん?」

「あ……、あの……、あたし……、――むぐッ」

いきなりキスで唇をふさがれました。

びっくりして両手で本郷さんを押しのけようとしました。

でも、力強い腕で抱きしめられて身動きできません。

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