翌朝、由香は登校すると自分の席にどっかと腰を下ろした。そのままほおづえをついてぼーっとしていた。夜明け前から降り続く雨のせいでますます憂鬱な気分だ。友人とおしゃべりするのも億劫だった。
そこへ奏が近寄ってきた。由香が気づいて、無言で下からにらみつけた。奏はおびえた表情で、
「話、あるんだけど。ちょっといいかな、天音さん」
視線だけを動かしてすばやく教室の中を見渡した。武一はまだ学校にきていない。
「話ってなに?」
「こ、ここじゃちょっと……。その、きのうのことなんだけど」
由香はわざと大きなため息をついて、めんどくさそうに立ち上がった。どのみち奏には何か言ってやらなければ気がすまない。
ふたりで廊下に出ると、由香は窓際にもたれて腕組みをした。
奏は人目を気にしながら、小声で話し始めた。
「武一くんを責めないであげて。彼、すごく悩んでいたから」
恋人を名前で呼ばれたことに、由香はカチンときた。それから、武一が悩んでいたことなど自分はまったく知らなかったという事実が由香を焦らせた。武一の性格なら、たしかに相当悩んだはずなのだ。
「わたし、転校したてで友達もいなかったし、不安なこともいっぱいあった。でも、武一くんが相談にのってくれたり、力になってくれたりして、すごく優しくしてくれた。うれしかった」
東北の方から越してきた奏は、ときどき妙なイントネーションになる。本人も気にしているらしく、つとめて標準語で話そうとしているようだった。それが由香の神経を逆なでした。
「わたし、武一くんのこと好きになっちゃって。でも、そのことは誰にも言わなかった。ところが先月、武一くんの方から告白されて、わたし、舞い上がっちゃって、付き合うって返事した」
先月ということは一か月近くふたまた状態だったことになる。
「けど、天音さんが武一くんの彼女っぽかったから、付き合うのはちゃんと別れてからにした方がいいって言った。武一くん、なかなか天音さんに言い出せなくて困ってた。彼、ああいう性格だから。わかるでしょ?」
奏が話すにまかせていた由香だが、イライラは頂点に達していた。腕組みをといて詰め寄ると、語気を荒げて、
「あんたが武一を誘惑したんでしょ? あいつともうセックスしたの?」
「そ、そんな。まだそこまでの関係じゃないよ」
「『まだ』だあ? じゃあ、これからするつもりなのかよ! 恋人気取りするんじゃねーよ。武一の彼女はあたしだ」
奏は萎縮して、
「た、たしかに、わたしは天音さんみたいに明るい性格でもないし、天音さんの方がずっと美人でかわいい。武一くんもどうしてわたしなんかを好きだって言ってくれたのか正直よくわからない。だって、天音さんの方がわたしなんかよりずっと魅力的だもの。もしかしたらただの同情なのかなって不安に思うこともある。でも、わたしも武一くんのこと好きだから――」
たまらず、由香は奏をひっぱたいた。
ビンタの音が廊下に響き渡り、そこにいた全員が由香に注目した。
奏はちいさく悲鳴をあげて頬をおさえると、足がもつれたのかその場に崩れた。由香にはそれが奏の演技のように思えて、よけいに腹が立った。
由香は息苦しくなるような怒りをかかえたまま、足早に教室に戻ると、自分の席につっぷした。
(くそっ、こんなに侮辱されたのは初めてだ)
奏が転校早々に由香から武一を寝取った、という噂は、たちまちクラスの女子のあいだに広がった。
奏に対する女子の態度が一変した。由香が人気者だったからというのもあるが、由香の親友でクラスのまとめ役的ポジションの桂木倫子が、あからさまに奏の悪口を言い始めたことが大きく影響していた。奏と親しくしていた子たちも、クラスの趨勢がわかるまではと、奏と距離を置きはじめた。
由香はそんなクラスの空気をうとましく感じていたけれど、自分のことだけでいっぱいいっぱいだった。
[失恋パンチ]
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