このままトイレにこもっているわけにもいかない。しかたなく教室へと向かった。うしろの戸をそっと開けると、先生がすぐに気づいて早く部屋に入るよううながした。教室はきのうのうちに喫茶店に作り変えられていたので、みな適当な場所に立っている。遅刻をとがめられることはなかった。
たいした連絡事項もなくホームルームは終了した。そのあと開店準備をする何人かの生徒を残して、ほとんどの子は開会式の行われる体育館へと向かった。
あたしは教室のすみに置いてあった自分用のアリスの衣装を取り出した。更衣室に向かおうとすると、三ツ沢さんが声をかけてきた。
「どうしたのさ、美星。顔が真っ青だよ?」
「別に……」
あたしは感情のない声で言うと、三ツ沢さんの横をすり抜けて廊下に出た。
廊下は体育館に向かう生徒であふれていた。でも、あたしには文化祭自体が絵空事のように思えた。目の前の風景に現実感を感じられない。まるでカキワリのようだ。世界のすべてがモノトーンに見える。こんなふうに感じたことは以前にもあった。苦痛と絶望だけに支配され、心が壊れていったあの頃――。
更衣室のドアを開けて中に入ると、うしろから三ツ沢さんがついてきた。
「ちょっと、美星ッ。あんた大丈夫なの?」
三ツ沢さんを無視して服を着替える。アリスのスカートにはケータイを入れるためのポケットを作ってあった。脅迫者からの返信はまだない。あたしはケータイと脅迫状の入った封筒をポケットに押し込んだ。
あたしがアリスの衣装に着替え終わると、三ツ沢さんがふたたび口を開いた。
「美星、様子がおかしいよ? 何かあったんじゃないの? 心配だよ。よかったらわけを話して。わたしにできることなら力になるよ。同じクラスの仲間なんだし、助け合うのが当然でしょ。友達じゃん」
「いいかげんにしてよ!」
あたしが怒鳴ると、三ツ沢さんが体をビクッと震わせた。
「なにが友達だよッ。あたしと三ツ沢さんは、いままでろくに口を聞いたことなんかないでしょ。そんなんで、どーして友達だなんて言えるわけ? そんなうわべだけの友達なんてほしくない。友達の数を自慢したいからって、あたしを数に入れようとしないでよ」
「そんな……。わたし、そんなつもりじゃない。美星がいつも教室でひとりぼっちだったから――」
「だから同情して友達になってあげようってわけ? あたしはそんなこと望んでない。大きなお世話だ」
三ツ沢さんはショックを受けたような表情を見せた。どうせ演技だ。本当だとしても、いまのあたしに三ツ沢さんを気遣う余裕はない。
そのときポケットの中でケータイのメール着信音が鳴った。あたしは大急ぎでケータイを取り出すと、メールの内容を確認した。
『第一理科室に美星さんの援交写真を展示してあります。全校生徒の注目の的ですね』
(ちくしょう!)
パニックを起こして叫び声をあげそうになった。
第一理科室は写真部の展示に使われているはずだ。その中にあたしの写真が混ぜられてるなんてシャレにならない。犯人はあたしをいたぶって楽しみたいのか。
「美星……、これ……」
そう言いながら三ツ沢さんが白い封筒を差し出した。
ハッとして奪い返した。脅迫状の入っている封筒だ。あわててケータイを取り出した拍子にポケットから落ちてしまったんだ。
三ツ沢さんはもう何も言おうとしなかった。
「ひどいこと言ってゴメン。あたしに構わないで。関わるとろくなことないよ」
床に視線を落としてそうつぶやくと、あたしは更衣室を出て駆け出した。三ツ沢さんは追ってはこなかった。
廊下にはあいかわらず生徒たちがおおぜいいた。でも歩く方向がさっきと逆で、みな体育館から戻ってくるところだった。開会式は開会宣言だけだから、とっくに終わってたんだ。写真部の展示を見に行く生徒もいるだろう。間に合わないかもしれない……。
生徒たちのあいだをすり抜けて廊下を走った。何事かと振り返る子もいるけど、気にしている場合じゃない。階段を一段とばしで上り、渡り廊下を駆け抜けた。理科室のある特別教室棟に入るとまだほとんど生徒はいなかった。
さらに階段を上って、ようやく第一理科室にたどり着いた。受付の写真部員はいなかった。まだ誰も来てないんだと安堵したけど甘かった。すでに三人ほどの男子生徒が室内に展示された写真を見てまわっていた。
遅かったかと一瞬思った。でも騒ぎ立てている様子はない。希望にドキンと胸が鳴った。
まだ写真は見つかってない!
でも、先にあたしの写真を見つけられたらおしまいだ。
[援交ダイアリー]
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