第16話 世はなべて事もなし (06)
その日の昼休み、あたしと岩倉くんは図書室のカウンター当番にあたっていた。期末テスト直前なので、本の貸し借りをする生徒はおらず、自習をしている数名の生徒がいるだけだった。室内は静かで、問題集のページをめくる音やノートに計算式を書く音が聞こえた。
あたしはたまには試験勉強でもしようと思って世界史の教科書を読んでいた。歴史のテストは基本的に暗記が物を言うので、つまらないしくだらない。でも、授業は先生がテストに関係ない歴史小話をしてくれるので好きだった。時代を作るのはテクノロジーの進歩だけど、歴史を動かすのはその時代に生きた権力者たちの感情だ。理屈に合わないデタラメさの中であがく人々の物語を学ぶと人間について考えさせられる。
岩倉くんはとなりでアサルトライフルの図鑑をながめていた。アメリカ留学して銃を撃ちまくりたいとか考えてるんだろうか。将来は自分のビジネスをやりたいと言っていたけど、武器商人にでもなるのかな。それはそれでカッコいい。プププ、娼婦と武器商人なんていい組み合わせじゃない?
「お前、また俺のことを子供っぽいとか思ってるな?」
と、岩倉くんがヒソヒソ声で言った。
「そんなことないよ。岩倉くんも男の子だなー、って思っただけ」
あたしも笑顔でささやき返した。岩倉くんはたしかに子供っぽいところもあるけど、尊敬できる人だ。バカにするような気持ちは微塵もない。ただね、好きになった女の子に対してはもっと強気になった方がいいと思うんだ。恋愛は早いもの勝ちだからね。
そんなことをしていると図書室に恵梨香先輩がやってきて、カウンター席のあたしたちに声をかけてきた。
「やあ、岩倉くん。沙希も。やっぱりきみたちふたりが並んでいると絵になるな」
と、ニコニコしながら小声で言う。
「ども、岡野先輩……」
岩倉くんは顔を赤くしながらも、そっけないフリで返事をした。ダメな人だな。
「恵梨香先輩も自習ですか?」
「そういうわけじゃないんだが、受験勉強の合間に美男美女カップルをながめて眼福にあずかろうと思ってね。ああ、岩倉くんは沙希の本当の彼氏じゃないんだったね。岩倉くんは誰か好きな子はいるのかい?」
恵梨香先輩の無邪気なストレートパンチに岩倉くんは、
「え……? ええ、まあ……、なんというか……」
と、目をそらした。
「もー、御影くんってば、恵梨香先輩の前だと借りてきた猫みたいにおとなしくなるんだから。あたしには憎まれ口ばっかり叩くくせに。そんなに美人のお姉さんが苦手なのかなァ? もしかして年上好き?」
「バ、バカ、そんなんじゃねえ。あ、いや、年上が嫌というわけではなく……」
岩倉くんが遠慮がちに恵梨香先輩に目をやると、先輩は屈託のない笑顔で、
「こうして見ているとまるで本物の仲良しカップルだな。岩倉くん、沙希はいい子だぞ。きっと素敵な彼女になる」
「いや、こんなヤツ――」
「誰がこんなヤツよッ」
以前三年生の男子に言い寄られたときに、告白を断る口実として岩倉くんに彼氏のフリをしてもらったことがある。協力してもらう見返りに岩倉くんを恵梨香先輩のところへ連れていき、紹介がてら事情を説明したのだ。岩倉くんが先輩と親しくなれるきっかけを作ってあげたのだけれど、ぜんぜん活かせてないな。まだ告白もできずにいるみたいだし。それどころか当の先輩からあたしを彼女に薦められる始末。不憫なヤツだ。
「実は鳴海のことで沙希に相談があるのだが」
と、恵梨香先輩が真顔になって言った。
ああ、これは岩倉くんには聞かせられない。あたしと先輩は廊下に出た。
「クリスマスに告白したって話は前にしたね? 断られたけれど、嫌われてるわけでもないようだ。でも、このままではただの友達から抜け出せないような気がする。しかし、志望校が同じなので、受験が終わるまでこのままでもいいような気もするし……」
恵梨香先輩のことをどう思ってるにせよ、あたしのことは吹っ切れてるんじゃないかと思う。半年も経てば拓ちゃんの心の中もいろいろと整理がついてきていそうなものだ。
「もう一度告白してみたらどうですか? こんどは別の返事をくれるかもしれませんよ」
「そうしたらいまの友人としての関係も壊れてしまうかもしれない」
まったく……。恋愛奥手ということじゃ、この人も岩倉くんと同じだな。見ちゃいられない。
「ずっと黙ってるのはフェアじゃないと思うので打ち明けますが、先輩が告白する直前に、あたし、想いを断ち切るために拓ちゃんとセックスしたんですよ。拓ちゃんも返事がしづらかったんでしょう。だけど、もうそろそろ、あたしのことは過去の女ってことになってるんじゃないかな。すくなくとも、あたしはもう大丈夫です。応援してますよ」
笑顔でそれだけ言うと、絶句してる先輩を残して図書室に戻った。
そうだ。あたしは拓ちゃんのことも乗り越えたんだ。
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