ちんちん生えてきた(08)

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■ワシントンDC USA  9月1日


 しかめっ面で軍服姿のポドルスキー中佐が、公園で待っていたキャサリンのところへ歩いてきた。

「ミハイル、補佐官は何と?」

「年内の公表を目指す、ということだ。マギとマギ・ウイルスの関係を含めて」

 と、ポドルスキーはホワイトハウスの方をいまいましげに眺めながら答えた。

 キャサリンはあきらめ顔で肩をすくめた。

「ずいぶんと悠長じゃないかしら。もうすでに世界中の人が知っていることじゃないですか。マギを神の使いだと考える団体も多数結成されていますし。インドでは集団自殺が何件も起きているんですよ? 天文学者たちの間でもあれが異星文明に起源を持つことについてはコンセンサスが得られているのに」

「マギの意図が不明だからな。侵略だとしても、我々に対抗手段はないだろう。もちろん国防総省は侵略者とは戦うと主張しているが、科学者やシンクタンクでもマギの目的については意見が分かれている。必ずしも敵対的なものではないという主張が多数派だ。大統領も敵と決めつけていないのは救いだが、パンデミックは事実だし、マギ・シグナルとウイルスゲノムの一致が偶然のはずがない」

「軍はどう考えているんです?」

「軍としては意見を持たない。侵略の可能性を捨てずに対抗策を用意しておくだけだ。それに、戒厳令が発令される可能性は十分にある。マギがウイルスの元凶だという主張も広まっているしな」

 ポドルスキーは公園のあちこちにいるデモ隊の方にあごをしゃくった。マギに関するもの、パンデミックに関するもの、その両方に関するもの。デモの内容は様々だ。

 マギ・ウイルスという名前も広まっていた。アメリカ政府はマギとウイルスとの関連を悟られないよう、もっと当たり障りのない名前を考案していたのだが、その名前を覚えている者は研究者の間にさえもういない。パンデミック発生とマギの発見が同時だったこともあり、市民の間で自然にマギ・ウイルスという名前が使われだし、それを後追いする形でマギとウイルスの関係が取り沙汰されるようになった。

 マギは天使でパンデミックは天罰だと主張する新興宗教が勃興し、エイリアンによる侵略だと主張する様々な団体と論戦を繰り返していた。アポカリプティックサウンドを聞いたというニュースが世界中のあちこちから寄せられ、政府はUFOの情報を開示せよという訴訟が各国で起こされていた。

 普通の星と違って目には見えないとはいえ、空に浮かんでいるマギは設備さえあれば世界中の誰でも観測できる。これを隠しておくことは不可能だ。ウイルスに関しても、現実にパンデミックが起きている以上、世界中の医療機関が全力でその正体を暴こうとしている。アナフィラキシーショックによる死者も二十万人を越え、対策が急務になっていた。キャサリンの発見はもちろん研究者の間で共有されたし、それによってマギ・ウイルスの研究は大きく進展した。そうした研究成果を一般大衆から隠しておくことなどできはしない。

 国連はまだ調査中だとして、マギとウイルスの関連については明確な見解を出していなかった。そのせいで、世界中の人々の不安がつのり、多くのデマと憶測を呼んでいるのだった。

 そうした状況の中では自分やポドルスキーは一介の研究者でしかない、とキャサリンは諦観をもって受け入れていた。国の方針を左右する立場にはないし、人々の心を動かすメッセージを発することもできない。ただ、科学でもって立ち向かうだけ。でも、そのための時間はあまり残っていないという実感もあった。

「全世界のタマ腐れ病の発症者は男性だけで十億を越えたとされている。検査が追いつかないだけで、実際はもっと多いのだろう。統計的推定では人口の三割を越えていると言われているからな。最初の患者から二ヶ月でこのペースだ」

「女性の陽性者も同じくらいでしょうね。陰核の肥大化を訴える女性は日に日に増えています。いままで誰にも言えずに一人で抱えていた人も多いのでしょう。世界中で同様の症状が広がっているとわかって、安心して打ち明けるようになっているんです。それに、陽性で症状が出なかった女性がいまになって症状を訴えるケースも増えていますね」

 ポドルスキーはクックッと低く笑った。

「男のタマを潰すのは簡単だが、女の体にペニスを形成するのには時間がかかっているということだろうな。新陳代謝の活発な若い世代の方が症状が出やすいのだろうが、そうした思春期の若者は症状が出ても恥ずかしがって隠していることも多い。それで、なかなか実態をつかめなかったのだろう。おそらく女性の発症者は今後どんどん増えてくるにちがいない。死者の数もな」

「アナフィラキシーが起きるのはマギ・ウイルスに体の免疫系が反応しているからでしょう? ここから治療法の糸口が見えるのではないかと期待しています」

「そうかもしれんし、間に合わないかもしれん。中国はすでにクローン技術による種の保存に着手しているという情報もある。彼らはすべての男性が不妊になることを前提に考え始めているようだ。アメリカもそうするだろう。人権を考えている場合ではない。だが、それより喫緊の課題は非陽性者の保護だ。マゼラン計画というのが動いている。いまだ陰性の若く健康な男性を選んでアムンゼン・スコット基地に避難させるのだ。基地の拡張も急ピッチで進められている。南極大陸はいまのところマギの影響を受けていないからな。いわば、種の冷凍保存だ」

 ポドルスキーはまた笑い声をもらした。相当疲れているのだろうなとキャサリンは同情した。

「人類はこの惨禍を乗り越えられると思いますか?」

 我ながら馬鹿な質問だと思ったが、キャサリンはポドルスキーの意見を聞きたくてたまらなかった。

「自然に発症が止まるのでなければ、おそらく無理だろう。マギの目的は単なる侵略ではないと思う。これは我々が日常的にマウスで行っているのと同じ種類の、何かの生物学的な実験ではないかという気がするのだ。南極を安全地帯として残しているのもワザとだろう」

「我々が実験動物だと? いったい何のために?」

「マウスに人間の意図などわからんよ。人類が生き残ることができるかどうか。それはマギ次第だ。彼らの実験計画書には何と書かれているのだろうな。人類にはどうしようもない。未来についての決定権は我々の手を離れたのだよ」

 キャサリンは黙ってポドルスキーの言葉を噛み締めた。この男はもう敗けを受け入れているように見えた。だが自分はまだ戦える。あきらめていい問題ではない。

 天気のいい日だった。ホワイトハウス前の公園は夏の陽を受けて緑が輝いている。生命の息吹を感じさせた。マギの影響を受けているのはヒトだけだ。動物にも植物にも変化はない。百年後に人類が滅びても何も変わらないような気がした。

 人類滅亡か、とキャサリンは空を見上げた。

 どうせならその一部始終を最前線で体験したいものだ。

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