ふたりだけの残業時間 (11)

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「どうかしたのかい?」

「いえ、な、なんでもありません」

美琴は無理に明るい声で答えた。レイプされる空想にひたりながら本郷さんの名前を口に出していたことは気づかれていないようだった。いっそのこと聞かれていたらよかったのに、と美琴は思った。好きだという気持ちをわかってほしかった。

「そろそろ帰ろうか」

本郷さんの声が心なしか寂しそうに聞こえた。でもそれは美琴の願望がそう感じさせただけなのかもしれない。

どちらにしても本郷さんには奥さんがいる。

美琴の想いは伝えることすら許されないのだ。

本郷さんと一緒に歩き出そうとした美琴は、自分の股間がびしょびしょに濡れているのに気づいて愕然とした。まるでおしっこを漏らしたように、愛液が太ももまで垂れていた。

胸が苦しくなった。

この恋は本物だ。

このまま終わってしまうなんてイヤだ。

美琴は確信していた。本郷さんも美琴のことを異性として意識していることを。

ふたりだけの残業時間。こんなチャンスはきっと二度とない。

その時間がいま終わろうとしている。ここまで近づいたふたりの距離は、来週になれば元通りに離れてしまい、それっきりになってしまうだろう。

本郷さんがいますぐ狼になって襲いかかってきてくれたらいいのに。

美琴は祈るような気持ちで本郷さんにレイプされることを望んだ。

だが、もちろんそんなことが起きるはずがない。

そもそも女性をレイプするような男を好きになれるはずがない。

どうすればいい?

どうすれば……?

「本郷さん……」

美琴は思わず本郷さんのジャケットの裾をつかんでしまった。

本郷さんが足を止めた。

「まだ……帰りたくない……」

それが美琴の精一杯の誘惑だった。

本郷さんは美琴に背を向けたまま、しばらくじっと動かなかった。美琴もまた動けなかった。沈黙が痛くて泣きそうだった。

やがて本郷さんがゆっくりと美琴の方に向き直った。やさしい笑顔だ。

「じゃあ、もうすこし一緒にいようか」

と、本郷さんがささやいた。

美琴の目に涙があふれた。うれしさと恥ずかしさでうつむいてしまった。

「いいものを見せてあげよう」

本郷さんが窓際に歩み寄って、壁のスイッチを操作した。モーターの音がして、ブラインドが上がりだした。このビルの窓は開口部が大きく床から天井までガラス張りだ。オフィスは十七階にある。ブラインドがすべて上がると、息を呑むような夜景が広がっていた。

「うわぁ……」

美琴は窓に顔をくっつけると、緊張も葛藤も忘れて感嘆の声をあげた。

大通りを行き交う車のヘッドライトの列。すこし離れた場所にある高層ビル群。その向こうに見える吊り橋の主塔と観覧車のライトアップ。

星の海を漂っているような感覚にうっとりと見とれていると、本郷さんがすぐ横に立った。ドキドキするようなイルミネーションの中にふたりきり。魔法のようなひととき。

美琴は本郷さんの方を見上げた。本郷さんも美琴を見ていた。

そのまま見つめ合う。

もう美琴はうつむいたりしなかった。本郷さんも視線をそらそうとはしない。

ふたりの距離がゆっくりと近づく。

唇と唇がそっと触れ合った。

いけない世界に足を踏み入れてしまった。これは空想ではない。現実に起きたことだ。

美琴の心は高揚し、酩酊するような感覚を覚えた。

「キス……しちゃった……。本郷さん……、奥さん、いるのに……」

本郷さんが美琴をそっと抱き寄せた。

「すまない、雪村さん。がまんできなかった。俺は……きみが好きだ」

「あたしも……、あたしも好きです。でも……、奥さんが……」

「ああ、そうだな。こんなことしちゃいけないのにな」

本郷さんがふたたびキスを求めて顔を近づけてくる。

美琴も背伸びして目を閉じた。

その瞬間、火災報知機を思わせるピリピリピリッという音が鳴り響いた。美琴も本郷さんも弾かれたように体を離した。音をたてているのは本郷さんのスマホだった。

「妻からだ」

スマホの画面を確認した本郷さんは青ざめた顔でつぶやいた。

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