第9話 すべての呪いが生まれた日 (08)

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翌朝、バタートーストと目玉焼きとオレンジジュースの軽い朝食を作ってあげて、ふたりで食べた。一条さんは前場の取引の準備があるので、あたしは部屋の前で別れを告げることにした。

「すごく楽しかった。ときどきこんなふうにあたしを買ってくれたらうれしいな」

エレベーターを降りてエントランスに出ると、一条さんからもらった五通の封筒の中身を確認した。一晩で百万。まずまずの稼ぎだ。

援助交際――。あたしはお金をもらって、すこしの間、お客さんの恋人になる。恋人だからセックスだってする。あたしとのセックスがお客さんにとって忘れられない体験になってくれたら、あたしはうれしい。お客さんが素敵な男性で、セックスがうまくて、大切にしてくれて、愛してくれたなら最高。そんな人に買ってもらえたら、こんなゴミクズみたいなあたしだって普通の女の子のような恋を体験できるんだ。

今回は大満足。

「気持ちいいセックスできた! 恋をするのってステキ!」

踊りながらガーデン広場に出た。

あたしは春休みだけど、きょうは金曜日で平日だ。広場にはもうたくさんの会社員やOLがいた。まだ九時半なのに仕事をサボってる大人がいっぱいいるらしいな。

昨日につづいてよく晴れていた。暑くも寒くもなく、そよ風が気持ちいい。立ち並んだビルがお日様の光にきらめいている。桜の花、木々の緑、青い空。仕事をサボりたくなるのも無理はない。

そんな中を駅の方に歩いていくと、だけど、あたしの気持ちはだんだん萎えてきた。

「帰りたくないな……」

明日は三月二十七日。あたしの誕生日だ。

立ち止まって、一条さんのマンションの方を振り返った。明日は美菜子ちゃんがセックスしに来る。あたしも混ぜてもらって3Pするというのもいいかもしれない。プレイとしての3Pは興味あるけどやったことはない。男の方が複数のパターンなら、お母さんの雇った男たちに強姦されたとき、サンドイッチで前と後ろをヤラれたり、バックで犯されながらイマラチオされたりしたけど。中学で集団強姦されたときだって――。

思い出しそうになって、あわてて両手で顔を覆った。ダメだ。一条さんのところへ行ってケーキを前にハッピーバースデーなんか歌われたら、正気を保てる自信がない。

近くのシティホテルに部屋を取ってひとりで閉じこもっていようかな。

ベッドでうずくまって、ひとりで泣きながら誕生日が過ぎ去るのをじっと待つんだ。

「なーんてね。弱気はよくない」

気を取り直して桜を見ながら歩き出す。

ほどなく、座り込んでいるひとりの中年男性に目が止まった。きのう定期入れを拾ってあげた人だ。きのうと同じ植え込みのブロックに腰を下ろしている。

あたしは歩きながら、なんとなくその男性を観察した。

流行遅れでくたびれたダークグレーの安物スーツ。地味なネクタイ。きのう着ていたのと同じ服装だ。家に帰ってないのかもと思ったけど、ワイシャツの柄がちょっと違うし、襟にはアイロンがかけられているようだ。ホームレスってわけではないらしい。

猫背で暗い顔をして、地面に視線を落としたまま何をするでもなくじっとしている。その表情を見て、どうしてこの男性が気になるのかに思い至った。

余命半年と宣告されたような、絶望に呆然となっているような顔。

お父さんに似ていたんだ。顔が、って意味じゃなく、まとっている空気みたいなものがだ。近くに断崖があればそのまま飛び降りてしまいそうな。

あたしを虐待していたころのお父さんと同じ。

そう思うと、もう少し気合を入れてマンウォッチングゲームを続けた。

表情のせいで老けて見えるけど、年齢は四十代前半くらいか。中肉中背。髪は伸びているけど、不潔なほどではない。ひげはきちんと剃られている。

使い込まれた革の通勤バッグ。革靴も安物で、手入れをされている様子もなく、くすんでいる。年収は三百から四百万といったところかしら。

左手の薬指に指輪。

拾ってあげた定期は先週末で期限が切れていた。それに、いまいる場所はその定期の路線じゃない。ということは勤務先はこの街じゃない。

といったところで、男性の前までやってきた。

声をかけるかどうかすこし迷った。別にこの人と寝たいわけじゃない。渋いオジサマは好きだけど、しょぼいおじさんはちょっとね。それに会社を解雇されたばかりらしいし、あたしを買えるほどのお金は持ってないだろう。でも、お父さんに重なっちゃったんだ。あの目を見ちゃったら放っておけないよ。あたしにもできるやり方ですこしでもこの人を元気づけてあげたい。というわけで、

「お、じ、さんッ。なにしてるの?」

無邪気な笑顔を作って話しかけると、男性はぼんやりと顔をあげた。わずかに訝しむような目をして黙ったままだ。

「もお、きのうも会ったでしょ? 落とした定期を拾ってあげたじゃん」

男性は「ああ」という表情をした。

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