ピンクローターの思い出(02)

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 雄太は忘れ物を取りに来たらしく、自分の席から体操着の袋を取ると、「じゃあね」と言い残して教室を出ていった。

 まどかは胸がいっぱいになって両手で顔をおおった。

(中川くん、このクラスにあたしがいること、知っててくれた……)

 同じクラスなのに、いままで口を聞いたことはなかった。自分なんか存在すら気づかれていないと思っていた。でも、違った。

『新田って、休み時間にいつも本読んでるもんな』

 その言葉を何度も反芻する。

 ローターを片付けた後も、まだ性的快感が持続しているかのように夢見心地だ。

 まどかが『愛の妖精』に出会ったのも図書室の少年少女向けの文学全集だった。何十年も前の本で、古すぎて誰も手に取らないらしく、新しい本よりもむしろ状態がよかった。文学全集は全部読んだのだけれど、いちばん気に入った物語をちゃんと読みたいと思って、文庫本を古本屋で見つけたときに買ったのだった。

 雄太と自分に意外な共通点があったことを知って、まどかはときめきを抑えられなかった。図書室にある名作推理全集のほかの本も読んでみようと思う。そうしたら、また雄太と会話できるのではないかと夢が広がった。

 そんなことがあってから、時おり雄太と言葉を交わすようになった。オナニーしているところを見られたかも、と最初は不安に思っていたのだが、雄太はまどかに普通の態度で接してくれるので、どうやら心配はいらなかったのだなと、まどかも納得できた。言葉を交わすといっても二言三言だけの短い会話で、おしゃべりというほどでもない。雄太がニコニコしながら話しかけてきて、まどかが何か返すというだけ。それでも、まどかにとっては学校に来る第一の目的と言ってもいいほどだった。

 少々値が張ったのだが、書店で『ローマ帽子の謎』の文庫本を買って、休み時間に教室で読んだ。雄太はすぐそれに気づいて声をかけてきた。

「国名シリーズでもほかの本でも、気になるのがあれば貸してあげるよ」

 そう言われて、お小遣いをはたいただけの効果はあったと、まどかは満足を覚えた。

 実際のところ、古典的な本格ミステリにはそれほど興味は持てなかったのだけれど、そんなものに興味を示す子はほかにはいないわけなので、雄太の好きなものについて話ができるだけで、自分が雄太にとって特別な存在になれたような気がした。

 だからといって、雄太の一番になれたなどとうぬぼれたわけではない。雄太がまどかと会話する時間よりクラスのほかの女子と話す時間の方が何十倍も多いのだ。なかでも宇田川優子が本命だと噂になっていた。雄太と同じく文武両道で、優子という古風な名前が凛としたたたずまいに似合っている。しかし、冷たい雰囲気はなく、むしろ面倒見のいい性格から女子の学級委員をしていた。

 優子の父親は歯科医だし、雄太の父親は大企業の偉い人だと聞いていた。まどかから見たら二人は別世界に住んでいるのも同然で、そこに分け入ろうとする気持ちさえわかない。ただ自分の存在を気にしてくれる人がいるというだけで学校に来るのが楽しくなったのだった。

 やがてバレンタインが近づいてくると、まどかは友だちとして雄太にチョコを渡してもいいものかどうかで悩んだ。もちろん雄太は複数の女子からチョコをもらうだろうし、優子からももらうだろう。雄太の彼女になれるかもと本気で思っているわけではない。イベントごとに参加してみたいと思っただけだ。

 けっきょく、あまり高価でない市販のバレンタイン用チョコを買ったものの、当日は渡す勇気が出せず、持ち帰ることになった。後悔だけが残り、まどかは自分の意気地のなさを嘆いた。

 その日を境に、雄太と優子が急接近したように思えた。二人で話している時間が明らかに増えている。教室でその様子を見ていると胸の奥がザワザワとして息苦しくなった。渡せなかったチョコを思い出すたび、かえって雄太のことが気になってしまうのだ。気持ち悪くてたまらない。雄太は以前と同じようにたまに話しかけてくれるけれど、まどかは学校に来ることに苦痛を感じ始めていた。

 もうじき三学期も終わり。六年生になったら雄太と別のクラスになってしまうかもしれない。もやもやする不安と焦燥を紛らわせるために、まどかは毎日学校から帰るとローターオナニーに没頭した。

 母親の元カレから強姦されたのは終業式の一週間前のことだ。

 アパートの部屋でひとりローターを使っていたとき、戸の隙間から男が覗いているのに気づいて布団から飛び起きた。玄関の鍵は確かにかけたはずなのに、どうして部屋に入ることができたのか。まどかは真っ青になって部屋の隅にうずくまった。

「まどかちゃん、まだ小学生なのにそんなエッチなことをしていちゃいけないな。悪い子だ。お母さんに似たのかな?」

 男はいやらしい笑いを浮かべて部屋に入ってきた。その後ろから別の若い男二人も入ってくる。三人とも我が物顔で遠慮する様子は微塵もない。

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