第10話 止まった時間 (05)
「居場所?」
「母の不倫のこと、姉と義父のこと、ふたりが出て行ったあとの母の男漁り、そんなようなものを見て育ったわたくしには、恋愛など愚かなことに思えたのです。夏目さまからこの別荘でのお仕事を提案されたときも、不快感と恩返しをしたいという気持ちがないまぜなままお受けしたのですよ。でも、本当はセックスが怖かったのです。母のようになってしまうのではないかと思えて。栄寿さまはわたくしの体を積極的に求めようとはしませんでした。だから、わたくしも甘えてしまったのですわ」
「お金で体を売らなかったことが甘えとは思いません。わたしは反対だし、お父さんがもなかさんやあずきさんを娼婦として扱わなくてよかったと思います」
もなかさんはかすかに微笑んで、首を振った。
「甘えというのはそういう意味ではありません。この別荘で暮らすうち、栄寿さまとあずきこそがわたくしの家族だと感じるようになりました。わたくしはここに失った家庭を求めていたのです。この二年間、ここでの生活はとても居心地がよかったのですよ。だから、わたくしはずっとモラトリアムに浸っていたのです。自分の居場所を見失ったまま、わたくしの時間はずっと止まったままでした」
モラトリアムという言葉はママから聞いたことがある。もともとはお金の支払いを待ってもらうという意味だけど、この場合は、社会の中で自分はどう生きていくのかを決めるまでの時間という意味だ。
いままで自分探しという言葉はわたしにはピンとこなかった。けれど、もなかさんの話を聞いて思った。たぶん、わたしはいま生まれて初めての自分探しをしているんだ。自分探しというのは要するに、他人との関係性の中での自分の立ち位置を決めることだ。
お父さんとの関係をどうしたらいいのか。わたしは決めなくてはいけない。
「きっと――」
と、もなかさんが続けた。
「栄寿さまもあずきも、わたくしたちはみんな、迷路の中で迷子になっているのですわ。そして出口を探すのをやめてしまっていたのです。いまの暮らしがとても心地良かったから。いまの生活がいつまでも続くものだと思い込んでいたのです。そんなはずないですよね。誰だって年をとっていくのですから」
わたしは自分の気持ちがわからなくなって悩んでいる。でも、もしかしたら、大人だってみんなそうなのかもしれない、と思った。
「申し訳ありません、お嬢さま。長々と自分のことを話してしまって。とにかく、わたくしはこんな人間なので、恋愛のことも親子のこともよくわからないのですよ。お嬢さまのお力になって差し上げられたらいいのにと思うのですが」
思わず吹き出しそうになった。もなかさんが生い立ちを話してくれたのは、わたしの恋愛相談には応えられないという自分の力不足を詫びるためだったのだ。ますますもなかさんのことが好きになった。
「ねえ、もなかさん。わたしは将来、もなかさんのような女になりたいと思うわ。もなかさんは強くて、優しくて、聡明で、それにとっても美人なんですもの。ママ以外でこんなに憧れる人はいないわ。きょうだって、危ないところを助けてくれたし。あ、まだお礼を言ってなかったわ。ありがとう、もなかさん」
もなかさんの顔を見上げると、すこしはにかんだ笑顔を見せた。
「お嬢さまの心が安らかになるよう、わたくしにできることがあればよいのですが。お母さまだったらどうなさるんでしょう。お母さまの代わりが務まるとは思えませんが、わたくしにできることなら、なんだっておっしゃってください」
「……」
ふと浮かんだことがあるけど、いやいや、これはダメでしょ。ママとだったらよくしていることだけど。でも、ダメだよ。おっぱい飲みたいなんて。
「遠慮しなくていいのですよ」
「でも……」
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