差し出された一万円札に、あたしは呆然となった。
まさか、あたしには一万円しか払えない、それだけしか払う価値がないとでもいうんだろうか。これっぽっちのお金であたしとセックスできると思っているのか?
ひどい侮辱だ。
「あの……、これってどういう……?」
「帰りの電車賃です」
「え?」
怒りの感情が落胆へと急速に変わっていった。
「その……、あたしって、村岡さんの好みに合わなかったですか? だったら、しょうがないですけど」
料金が高すぎるんだと言われるんじゃないかと怖くなって、あたしは尋ねた。
どういう子が好きなのかっていうのは人それぞれだから、あたしという女の子が趣味に合わないのだとしても、しかたないし、腹を立てることでもない。
でも、価値を低く見られるのは嫌だ。
「こちらからお願いして来てもらったのにすみません。でも、やっぱり援助交際なんてよくないと思うんだ。これって犯罪だし」
あたしはちいさくため息をついた。
土壇場で怖気づいちゃったのか。
確かに犯罪だし、男性の側にも大きなリスクがある。だけど、そのリスクを冒してでもあたしを欲しいと言ってくれる男の人にこそ抱かれたい。
村岡さんにも勇気を出してほしい。
「秘密は守りますよ」
「ぼくはきみを買うつもりでした。でも、さっき駅であの男がきみに援助交際を持ちかけているのを見て、自分のあさましさを痛感したんです。きみはぼくの娘より年下だ。高校生だとわかっていてメールしたぼくが間違ってた。これは売春だよ。きみだって傷つくばかりじゃないですか。援助交際なんてやめた方がいい」
そう言われて唇をかんだ。
いまのあたしにとって援助交際はとても大切なことだ。自分がなにをしてるかはちゃんとわかってる。文句を言われる筋合いじゃない。
「あたしがどうしようと、そんなのあたしの勝手じゃないですか」
交渉決裂ならさっさと席を立った方がいいと思うけど、できなかった。自分を否定されたままじゃ終われないと思った。
村岡さんはイライラした顔になった。
「沙希さんと知り合った掲示板には、ほかにも援助交際の相手を探している少女がたくさんいた。小遣いほしさに援助交際という名の売春をして、深く考えることもなしに自分のことを粗末に扱って、なんてバカな連中だと思っていました。きみもそんな連中のひとりなんだ」
「そっちだって、そのバカな女の子の体をお金で買おうとしたじゃないですか」
「だから、それはぼくが間違っていたと言ってるんだ。きみの父親がこのことを知ったらどう思うか考えたことがありますか? どうしてこんなバカなことをしてるんだ」
「そんなこと聞いてどうなるっていうんですか? お説教なんて聞きたくないですよ」
思わずきつい口調で言ってしまった。お父さんのことを持ちだされたせいだ。
「どうしようと自分の勝手だときみは言ったけれど、それは違うよ。きみはまだ子供だ。お父さんやお母さんに養ってもらっている身だ。きみの体はきみだけのものじゃない。きみが勝手に穢していいものじゃないんだ。大人になったとき、きっと後悔する。いまのきみは淫売じゃないか」
あたしはうつむいて怒りに肩をふるわせた。ひざの上で握ったこぶしが痛い。
すてきな人に巡り会えたと思ったのに……。
「もう、いいです。もう、あたしを買ってくれなくていいです」
「会ったばかりのおじさんに注意されたからって、考えなおしてくれるとは期待してなかったよ。さようなら」
村岡さんがため息をついて立ち上がろうとした。
「待ってください。取り消してください。あたしのことを『淫売』と言ったこと、取り消してください。あたしのことなんてなんにも知らないくせに。女子高生を買おうとしたロリコンおやじにそんなふうに言われたくないです」
「買おうとしたのは事実だ。でも、踏み止まった」
「偉そうに言わないで。奥さんにバレるのが怖いだけでしょ? こうしてあたしと会った以上、とっくに浮気だと思うし、もう犯罪は成立してるんですよ。どうせ自分の娘のことだっていやらしい目で見てるんでしょ? ほんとはあたしなんかより、娘さんを犯したいと思ってるんじゃないんですか?」
村岡さんの左手の薬指にはめられたプラチナのリングを見つめながら、なじるように言った。あたしの視線に気づくと、村岡さんはあわてて左手を隠した。
そして沈痛な表情でこう言った。
「妻と娘は半年前に亡くなった」
[援交ダイアリー]
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