「いいかげんにしてください! そんなこと言う先輩は嫌いです。さあ、一緒に帰りましょう。駄々をこねるなら、ぼくひとりで帰りますよ?」
「帰りたかったらひとりで帰りなさいよ! いくじなし。なによ、ぼくにできることなら何でもしますって言ったじゃない。あれはでまかせだったの? ほんとはあたしとセックスしたくてしかたないくせに。武一に遠慮してまともに告白もできなかったあんたに、あたしの方から誘ってるのよ。こんなチャンスもモノにできないなんて、とんだヘタレだわね! あんな男のことなんて俺が忘れさせてやる、くらいのセリフを言ったらどうよ。あんたより武一の方がよっぽど男らしいわ!」
純がいままで一度も見せたことのない怒りの表情を浮かべた。由香はハッとなった。純の表情はみるみる暗くなり、頬をぴくぴくさせたかと思うと、涙を浮かべた。
「勝手にしろ! 天音先輩のことは好きでしたけど、たったいま大嫌いになりました。もう付き合いきれません。そんなにセックスしたいなら誰とでもすればいいじゃないですか。さようなら!」
純はくるりと向きを変えると、由香を残したまま早足で離れていった。
由香は呆然として純の背中をながめた。後ろ姿が涙でにじんで見えなくなった。大粒の涙が頬をつたって流れ落ちた。
なにをやってるんだろう。
いま言ったことは本心じゃない。
本心からそんなことを思っているはずがない。
傷つけた。
純を傷つけた。
そんなつもりはなかった。
ただ、優しくしてほしかっただけだ。
なぐさめてほしかっただけだ。
それなのに……。
考えてみれば、自分は最初から純を傷つけていたのだ。純が自分に恋心をいだいていることには気づいていた。それなのに、武一とのことを相談し、愚痴を聞かせ、気晴らしに利用したのだ。純は何も言わなかったから甘えてしまった。けれど、自分はずっと純を傷つけ続けていたのだ。
気がつくと、声を上げて泣いていた。涙が止まらない。由香は両手で顔をおおい、肩を震わせた。
最低の女だ。
武一に嫌われ、純にも嫌われた。
もうどこにも居場所はない。
ひとりぼっちだ。
そのとき、誰かに手首をつかまれた。ラブホテルの前で泣いている女に見知らぬ男が声をかけてきたのだと思って、恐怖で飛び退いた。
純が目の前に立っていた。
「純……」
由香は安堵で全身の力が抜けるような気がした。
「先輩のこと、見捨てたりしませんよ」
優しい声だった。由香は純の肩に顔をうずめて、いっそう大きな声で泣きはじめた。
ずっと――。
武一に別れを告げられてからずっと、泣くのをがまんしていた。
いま、心の堤防が崩れ、溜まっていた感情を爆発させて泣きじゃくった。
「純、あたし、フラれた。武一にフラれちゃった。武一のこと好きなのに。あいつは別の子を好きになっちゃって、あたしとはもう付き合えないって」
純がそっと抱きしめてくれた。
武一と違って華奢な体だ。背も由香と同じくらいだ。けれど、包み込まれるような優しさを感じた。
ひとりでは立っていられるかどうかもわからない。
だから、いまだけは甘えさせてほしい。
「好きだったのに。武一、武一」
声を震わせて武一の名前を繰り返す由香を、純は何も言わずに支えた。
ひとしきり泣いたあと、由香がすこし落ち着きを見せ始めると、純は由香の肩に手を添えて、駅の方へと歩き始めた。由香は嗚咽を漏らしつづけた。泣きやむことはなかったけれど、素直に純に従って歩いた。
電車に乗ると、由香はまたすすり泣きを始めた。そのまま自宅に送り届けてもらうまで、由香は武一の名前を呼びながら泣いた。
家に帰りついて、自室のベッドにもぐりこむと、由香はふたたび大声をあげて泣き叫び、日が落ちて暗くなるまで、ずっと泣きつづけた。
[失恋パンチ]
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