第15話 ロンリーガールによろしく (09)

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 たぶん学校から逃げ出して、着の身着のままで電車に乗ったのだろう。手ぶらだったし、翠蓮さんの家に寄った覚えはないけど、むき出しの一万円札を何枚か持っていた。教師から受け取ったのかもしれないし、盗んだのかもしれない。

 夜になって家に帰り着いたあたしを見て、お母さんが何を思ったかは知らない。服も体も汚れていて、髪も乱れたまま。ドラマで見た戦災孤児の浮浪者みたいな姿だった。

「何でも言うこと聞くから……、いい子にするから……、お母さんのところに居させて」

 と、泣きながらお願いした。

 お母さんは何か言ったけど、聞き取れなかった。

 こうして、あたしは家に逃げ帰り、ふたたびお母さんと暮らすようになった。お母さんは昔のように優しくしてくれたわけじゃないけど、家にいることを許してくれた。たぶんホッとして気が抜けたんだろう。あたしは高熱を出して寝込み、何日もうなされた。

 病院の検査で妊娠してることがわかったのはこのとき。父親はあの五人の中の誰かだ。もちろん堕ろした。

 転校手続きはしたものの、新しい中学には通えなかった。あたしはずっと不登校のままだった。学校に行くかわりに、男を誘うような格好で街に出た。嫌でたまらないはずなのに、また強姦されたいという願望があふれて止まらなかったんだ。

 男たちに声をかけられるたびに逃げた。捕まって強姦されたことも何回もある。逃げおおせたときは高揚して全能感にひたった。犯されたときは絶望と安堵を感じた。

 精神科のクリニックにもお世話になった。グループセラピーにも参加した。記憶がなくなることはしょっちゅうだったし、いつもボーッとして頭がはっきりしない。フラッシュバックが起きるたびに過呼吸の発作に苦しめられた。

 あたしが変わり始めたのは援助交際をするようになってからだ。もっとも中学生の頃はうまくできなかったけど。値段は安かったし、ハンバーガー一個ということもあった。それでも自分には価値があると思えるようになった。苗字も母方の美星に変えた。

 本格的に援助交際をするようになったのはショウマにレイプされたのがきっかけだった。あいつにセックスの楽しさを教えられてあたしは変わったんだ。

 それからちょうど一年が経つ。

 四年前、耐えきれなくなって逃げ帰った道を、いま遡行している。二度と戻りたくないと思っていたあの街に。

 新幹線の座席に座っていても息苦しくて、心臓が重いと感じた。両手は白くなっていて冷たい。だけど大丈夫。こうして中学のときのことを思い出しても発作は起きてない。

 もうあの頃の無力な子供じゃない。

 ローカル線に乗り換えて三十分ほど。正午前には目的の駅に着いた。駅前のタクシー乗り場には二台のタクシーが客待ちをしていた。その向こうにはバスターミナル。さらに向こうにはパチンコ屋と飲食店が並び、その奥に商店街が伸びている。閑散とした雰囲気だ。こんなふうだったかしら、と思う。街の風景は印象に残っていない。引っ越してきたときと逃げ帰ったとき以外は駅前なんて来たことがないのだ。街並みの向こうに目をやると、標高三百メートル程度の背の低い山々が迫っていた。その山々には見覚えがあった。普段暮らしてる街では近くに山が見えない。ようやく、あの街に戻ってきたのだと実感した。

 山の頂上は鉛色の雲の中だった。午後から天気が崩れるという予報だからグズグズしてはいられない。バスターミナルまで歩いて行き、時刻表を確認した。路線は二つあって、どちらも市民病院を経由する。次のバスが来るまで十五分ほどあった。バスは遅れることも多いからしばらく待たされそうだ。

 あたしは停留所のベンチに座った。

 もうじき新垣千鶴の無様な顔を拝める。そう思うとほっぺたが緩んだ。まさか新垣に会うのが楽しみに思える日が来るなんて。バスが来るのが待ち遠しい。

 と、そのときだ。

 あたしの隣に若い男が勢いよく腰を下ろした。

「おいおい、誰かと思ったら鳴海沙希ちゃんじゃないか」

 男の声を聞いて心臓が止まりそうになった。全身がキュッと緊張し、フリーズした。足元のコンクリートを見つめたまま、まばたきすることもできない。

 男が肩に腕を回してきた。あたしは体を縮こまらせた。歯がカタカタ鳴った。

(し……、新庄だ……)

 あたしを繰り返し強姦した上級生たちのリーダー。どうしてこいつと出会ってしまうのか。自分の運の悪さを呪った。さっきまでのウキウキした気持ちが吹き飛んだ。

「こっちを向けよ、鳴海」

 新庄があたしの顎をつかんで無理やり自分の方を向かせた。金髪にした短い髪を立たせて、無精髭と金のネックレスでワルを演出している。ところどころシミのついた白い作業着姿で、肉体労働系の仕事をしていることを思わせた。

「クックックッ、震えてるじゃねえか。千鶴の見舞いに来たのか? ――んなわけねえか。まあ、どうでもいい。また会えてうれしいぜ。再会を祝ってあの頃みたいにみんなで楽しもうじゃねえか。なあ?」

 新庄があたしのうしろに視線を向けた。デブの津谷がいた。こいつも強姦魔だ。

 涙があふれてきた。動けない。怖くて動けない。

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