駅前にある洋菓子店の穂波は、あたしの同級生のあいだでも大人気で、ときどきテレビでも取り上げられる。中でもシュークリームが絶品で、夕方には売り切れてしまう。三種類あるうちでも、カスタードと生クリームの二種類のクリームを詰めてシュー皮にチョコレートを塗った穂波シューがあたしのお気に入りだった。あたしは時々買ってきて食べていたが、お兄ちゃんがお菓子を買ってきてくれるのはめずらしい。
「母さんたちはいないのか?」
「うん、夕方まで戻らないって」
ということは四つあるシュークリームはあたしとお兄ちゃんとで山分けか。いや、お兄ちゃんはそれほど甘いものが好きってわけじゃないから、あたしが三つか。そんなことを考えながら箱をあける。シュークリームが四つ入っていて、そのうち一つだけチョコレートがかかっていた。残りの三つはスタンダードなカスタードシューだ。
「チョコのやつ、麻衣の好物だったろ」
胸の奥がきゅんとなった。
「よ、よく知ってるじゃない」
「そりゃ、兄貴だからな。でもそれ、くどくないか?」
「へーきよ。だって、あたし、女だもん」
女、というところをわざと強調して言った。お兄ちゃんは、どーゆー理屈だそりゃ、という顔であたしを見ていた。
いま家にはあたしとお兄ちゃんの二人きり。なんだか緊張する。あたしのお兄ちゃんは女子のあいだでけっこう人気がある。一年生でも告白して玉砕した子が何人かいるって話だ。でも、いまみたいな優しい表情は、あたししか知らないのだと思う。
紅茶を入れているあいだ会話が途切れた。お兄ちゃんの視線を痛いほど感じた。お兄ちゃんのことを想ってオナニーしているところを本人に見られそうになったせいで、妙に意識してしまう。オーガズムをおあずけになって欲求不満になっているのかもしれない。そう思うとますますエッチな気持ちが高まってきて、手元が狂いそうになった。
「なあ麻衣、あした二人で映画にでも行かないか?」
「えっ、な、なに?」
「映画。お前、見たい映画あるって言ってたろ」
デ、デートの誘いか? そうなのか?
「で、でも、お兄ちゃん、荷造りとか引越しの準備とかあるでしょ」
なに言ってるんだ、あたしは。血のつながった兄妹なんだからデートにはならないけど、せっかくのチャンスを自分からつぶすようなことを。
「準備はもうほとんど終わったし。来週末には引越しだから、兄貴らしいサービスしてやれるときも、もうないからな」
お兄ちゃんが笑いながら言った。どうだ妹思いのすばらしい兄だろ、とでも言いたげな顔だ。
来週、お兄ちゃんは家を離れる。遠くの大学に進学するので、アパートを借りて一人暮らしをするのだ。新幹線で行っても二時間くらいかかる。滅多に会えなくなるのだ。
友だちに言わせると、あたしとお兄ちゃんは仲のいい兄妹に見えるらしい。うちのバカ兄貴もあんたんちみたいに優しいお兄さんだったらケンカにならないのに、とよく言われていた。子供のころを除けばケンカなどしたことはないし、よく宿題を見てもらったりしている。さすがに登下校をいつも二人で、なんてことはしないけれど、休日に買い物につきあってもらうことはときどきあった。
でも……、デート、か。
一緒に映画に行ったのは中学のとき以来だな。見たのはアクション映画だっけ。あのころは恋愛感情なんてなかった。
あたしは男の人と交際したことはない。告白されたことなら、高校生になってから二回ほどある。告白したことは、ない。誰かを好きになったことは……、あるけど、いま思うとあれは本当の恋じゃなかったような気がする。
「どうする? 別にいいなら無理にとは言わないけど」
「いや、行く! 行かせていただきますっ」
そのあとはシュークリームを食べながら、二人で翌日の予定を相談した。普段どおりに振舞ったつもりだけど、うまくいったかどうかはわからない。
一年間想いつづけた恋が終わるときが迫ってる。
覚悟はしてた。お兄ちゃんだし。
二人で映画を観て、食事をして、ウインドーショッピングを楽しんだあとは、夕日の見える海辺の公園でお散歩しよう。恋人のように思い切り甘えて、腕を組んで、一番星が見えるまで二人きりで過ごすんだ。
それがお兄ちゃんとの最後の思い出になるのだろう。
そして……、それで終わりにしよう。
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