その夜は、村岡さんの腕にいだかれて眠った。満ち足りた気分だった。誰かと一緒に眠るのっていいな。さみしくないもの。毎日がこんなふうならいいのにと思った。
だから、朝になって村岡さんがいなくなっているのに気づいたときには、パニックを起こしそうになって飛び起きた。
朝の光が窓から差し込んでいた。部屋の中にはあたしだけ。村岡さんの脱ぎ捨てた服はなくなっていた。ベッドにも村岡さんの温もりは残っていなかった。
一瞬、ゆうべのことはぜんぶ夢だったのかと思いかけた。
「村岡さん……」
指先がしびれるのを感じた。過呼吸の発作を起こしかけている。
全裸のまま立ち上がった。きっとシャワーを浴びてるんだ。そう思ってバスルームの扉を開けたけど、中には誰もいなかった。
「村岡さん!」
泣きそうな声で叫ぶと、窓の外に煙草を手にした村岡さんが姿を見せた。バルコニーに出ていたんだ。あたしは思わず駆け寄って抱きついた。
「いなくなっちゃったのかと思った。何も言わずに帰っちゃったのかと」
「ごめん、沙希ちゃん」
村岡さんはスーツを着てネクタイも締めていた。あたしがプレゼントした赤いネクタイだ。
抱きしめられて、キスしてもらうと、気持ちが落ち着いた。
窓から入り込む朝の冷気に肌を震わせた。
「あたしも服、着なきゃ」
はにかんだ笑顔をうかべて村岡さんから離れると、バスルームに駆け込んだ。
熱いシャワーを浴びながら、今度はいつ会ってもらえるだろうかと考えた。もっと一緒に過ごしたかった。このままデートを続けたいけど、そうもいかない。きょうから中間テストだ。朝食を一緒にとる時間はなさそう。
制服を着てメイクをした。バスルームを出て、待っていてくれた村岡さんに向き直ると、思わず見つめ合ってしまった。出会ったときのことを思い出した。ふたりともきのうと同じ服。村岡さんのネクタイだけが違ってる。それがあたしたちがセックスしたことを示していた。なんだか照れる。
「あの……、今回はいろいろありがとうございました」
「花が咲くという字を書いて『サキ』というんだ」
村岡さんがおだやかな声で言った。何を言われたのかわからず小首をかしげると、村岡さんは、
「亡くなった娘の名前だよ。たまたま名前が同じだったきみにメールしたんだ。妻と娘を亡くしてからこの半年間、会社も売り払ってしまい、毎日することもなく、ぼくは生きているのが辛かった。でも、いまは違う。故郷に帰って再出発しようと思う」
「そう、ですか……」
気持ちが沈んでいくのを感じた。村岡さんはリピートしてくれないつもりなんだ。これでお別れなんだ。
「沙希ちゃんが力をくれたんだ。会えたのがきみでよかった。きみのことは忘れない」
村岡さんは上着の内ポケットから封筒を取り出して、あたしに差し出した。反射的に受け取った。お金が入っているのだと直感した。厚みからすると、ざっと五十万といったところか。
「ありがとう、沙希ちゃん。後払いになってしまったけれど。きみがしてくれたことに報いるには、これでは足りないかもしれない。もし、もっと必要なら――」
人差し指をあげて村岡さんの言葉をさえぎるとウインクしてみせた。
「援助交際する子にそんなこと言うと、たかられちゃうよ。これで十分」
チェックアウトしてホテルを出ると、あたしを帰すために村岡さんが呼んでくれたタクシーが待っていた。
泣きそうになるのを必死にこらえた。
開いたタクシーのドアの前で振り返ると、精一杯の笑顔を浮かべた。
「じゃあ、元気でね、お父さん」
「きみも元気で、沙希」
がまんできずに涙がこぼれた。
援助交際という形でしかできない出会いがある。あたしは村岡さんの役に立てた。それで満足だ。
第1話 おわり
[援交ダイアリー]
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