ないしょのお兄ちゃん (08)
壮一郎の気持ち
午後の授業にはまったく身が入らなかった。
『好きな人ならいるよ! 壮一郎のバカ!』
シスコンの兄にはこれ以上こたえるセリフはない。
愛良ももう高校生だ。好きな男がいたって不思議はない。いったいどんなヤツなんだ。同級生だろうか。くそ、気になる。
なんとかして本当のことを愛良から聞き出したいところだが、どうすりゃいいんだ。
「柚木、お前、午後はずっとそわそわしてるな。まあ、無理もない。これから愛良ちゃんに告白されるんだからな」
ホームルームのあと、増田がそう言ってきた。
「告白とか、お前は何を言っとるんだ。そんな話になるわけないだろう。あと、『愛良ちゃん』とか呼ぶな」
「だって、けさ弁当を渡されるとき、彼女言っていただろ。『放課後待ってますから』って。告白以外に何があるってんだよ」
「アホか」
妹なんだから告白以外の用事に決まってるだろーが。
でも、なんだっけ? 何か約束していたような覚えはあるのだが、思い出せん。
忘れたままだと、また愛良が不機嫌になるかもしれない。
これ以上、愛良を怒らせたくないのだが。
「高槻さんを振って若い女に走るか。もうさ、柚木、この際、愛良ちゃんと結婚しちゃえば? 結婚したら彼女は柚木愛良ちゃんになるわけか。あれ? いまと変わらないじゃん。なんつって」
「あのなぁ、俺は高槻と付き合ってるわけじゃないと何度言ったらわかるんだ。それに、高校生で結婚とかあるわけねえ――」
いや待て。結婚……。そのキーワードをけさ愛良から聞いたような……。
『お母さんたちの結婚記念日のプレゼント買いに行く約束、忘れてないでしょうね』
それだ!
俺は増田を放って廊下に出ると、愛良にメッセージを送った。
『きょう母さんたちへのプレゼント買いに行くだろ? どこかで待ち合わせようぜ』
愛良との約束を思い出せたことでホッとした。これで愛良と話すチャンスができる。あとは好きな人がいるって話の真意をなんとかして確認しなくては。
愛良からの返事はすぐに来た。
『壮一郎、約束を覚えててくれたんだ。放課後の補習はないよね? 正門のところで待ってるから』
『じゃあ、十分後に正門な』
よかった。愛良はもう怒ってないようだ。
あとは愛良の好きな男のことだけが気がかりなのだが。
この学校の男子の誰かに愛良が恋をしているとして、俺はどうすればいいんだろう。
兄として俺に何ができる?
何をするべきだ?
愛良にふさわしい相手かどうか見定めるのか?
愛良を泣かすようなヤツだったらぶっ飛ばしてやるのか?
愛良を守れそうもないなよなよしたヤツだったら別れさせるのか?
俺は――。
俺は、愛良が笑顔でいられるようにしたい。
だが、冷静に行動できる自信はない。
だったら、何もしない方がいいんだろうか。
くそ、わからん。
「ゆ、柚木くん!」
すぐそばで俺を呼ぶ声で我に返った。いつからそこにいたのか高槻が目の前に立っていた。どうやらさっきから俺に声をかけていたらしい。
「お、おう、高槻。どうしたんだ。何か俺に用か?」
「用っていうか……、あの、用がないんだったら……」
「ん? 別に用があるわけじゃないのか」
「そ、そうじゃなくて! その……、もしこのあと何も用事がないんだったら……」
「ああ?」
「ひッ、あの……あの……、け、け、ケーキ……」
「ケーキ?」
何を言いたいのかさっぱりわからん。というか、俺はこれほどまでに高槻に怖がられていたのか。さすがにこのままではいけないような気がする。
「なあ、高槻。ケーキがどうしたって?」
俺は身をかがめて視線の高さをあわせると、できるかぎりやさしい声で、小学生の子をなだめるように尋ねた。
高槻は泣きそうな顔をあげると、びっくりしたような表情を見せ、口をぱくぱくさせたかた思うとうつむいてしまい、そうかと思うとまた顔をあげた。そのときには高槻の表情は俺が驚くほどやわらかくなっていた。
「あの……柚木くんがスイーツ好きだって聞いたから、もしよかったらいっしょにケーキでもどうかと思って。ちょうど春の限定スイーツフェアをやってて、わたしも一度行ってみたいと思ってて……」
そのスイーツフェアは愛良を誘って行こうと思ってたやつだ。そもそも俺がスイーツ好きってことを知ってるヤツはこの学校には愛良以外にいないはずだが。なんで高槻が知ってるんだ。もしかして、愛良は高槻と会ってるのか?
高槻がこんなことを言い出したのはもちろん俺ともうすこし打ち解けたいという気持ちからだろう。同じ保健委員だしな。怖がってばかりではこの先やっていけないと思って、こいつもなんとかしなくてはと思ったにちがいない。
その努力には敬服するところだが、あいにくきょうは愛良と買い物だ。
「わりい、このあと約束があるんだ。またこんど行こうぜ」
「そ、そうなんだ。あ、ごめん、ぜんぜん大丈夫だから」
残念そうな様子はない。むしろホッとしたような、うれしそうな表情だ。
勇気を出して俺に挑戦してきた高槻の努力をむげにはできない。これからは俺の方からももっと歩み寄る姿勢を見せた方がいいな。
「じゃあな、高槻」
「う、うん。バイバイ、柚木くん」
俺は教室に戻ってバッグを取ると、増田に別れを告げてひとりで校舎を出た。
出たところで、こんどは戸川につかまった。
「おい、柚木。どうしてちひろの誘いを断るんだよッ」
と、俺をにらみつけてきた。
「きょうは先約があるんだよ」
「けさの一年生? ちょっと顔がかわいいだけの年下にデレデレしてみっともない。もっと内面を見なよ。男なんて、ただセックスしたいっていう欲望を恋愛感情とカン違いしてるだけのくせに」
「おいおい、はしたないぞ。だいたいお前はどうして俺と高槻をくっつけようとするんだ。お前はおもしろがっているのかもしれんが、俺なんかと噂になったら高槻が迷惑するだろうが。高槻のことをからかうのもたいがいにしとけよ」
戸川は目をむいて歯ぎしりした。
「好きな子の恋を応援することしかできない悩みが、あんたみたいなニブチンにわかるもんか! バーカ!」
そう言い捨てると、むこうへ行ってしまった。
何を言いたかったのかさっぱりわからん。
俺はため息をついて、正門へと向かった。
愛良は正門の柱にもたれて待っていた。うつむいて地面を見つめている。俺には気づいていない。
その姿を見て、俺は胸が締め付けられるようなせつなさを感じた。
この気持ちが、セックスしたいだけの欲望なわけがないだろう。
俺は愛良のよろこぶ顔が見たい。
だが、だからといって好きな子の恋を応援するしかない立場なんてまっぴらだ。
好きな人がいるだと?
そんなものは絶対認めねえぞ。
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