バレンタインデー当日は日曜日で、朝から晴れていた。お兄ちゃんが午前中から出かけたので、あたしはこっそりあとをつけた。お兄ちゃんは早足で歩いたので、あたしはときどき走って間を詰めないといけなかった。早足といっても、足取りが軽いという様子はない。信号待ちをしているときなど、うつむいて考え事をしているようだった。
お兄ちゃんは朝ごはんのときから、口数が少なかった。たぶん優姫さんがお兄ちゃんを呼び出したわけに気づいているのだろう。だとしたら、なんて返事をしたらいいか迷っているのだろうか。
お兄ちゃんは家からまっすぐ公園に向かった。桜の木がたくさん植えられていて、春になれば花見の名所となるその公園は、今は人もまばらで緑も少ない。木々のあいだの小経を通って中央広場に出ると、噴水の前に優姫さんが待っていた。
優姫さんは白のハーフコートに黒のブーツ姿で、身体の前で合わせた両手に、小さな紙の手提げ袋を持っていた。優姫さんはすぐにお兄ちゃんに気づいて、右手を小さく振った。お兄ちゃんは一度立ち止まって、同じように手を軽く振ると、優姫さんのほうに近づいていった。
あたしは大回りして、気づかれないように噴水の反対側から近づいた。変装のつもりで大きめのマスクで顔を隠していたけど、今の季節なら風邪の予防だと誰もが思うはずだ。怪しまれることはないだろう。あたしはボンテン付きのニット帽を目深にかぶり、そろそろと噴水を回り込んでいった。
お兄ちゃんと優姫さんは噴水の大理石のへりに腰掛けていた。あたしはどうにか二人の声が聞こえるところまで近づくことができた。いや、できたと思うけど、二人とも黙ったままだったので、会話が聞き取れるかどうかわからなかった。
しばらく沈黙が続いたあと、ようやく優姫さんが口を開いた。
「あ、あのね、直人くん、わたしね……」
「なあ、早瀬」
お兄ちゃんが優姫さんの言葉をさえぎった。
「お前って、ほんと見た目は女だよな」
「あ、う、うん。ありがと」
「男子生徒のあいだでも人気あるしさ。文化祭でミスコンやったら優勝できるんじゃね、とか言われてるし。お前のこと狙ってるヤツだって一人や二人じゃないぞ。いや、マジな話」
優姫さんが照れたように笑った。
「えっへっへ。ほんとにぃ? だったらうれしいな」
「だけど、ほかのやつらがどう思ってようと、俺たちの男の友情は変わらないからな」
お兄ちゃんは立ち上がると、優姫さんに向き直って、
「早瀬は俺の親友だ。ずっと」
そう言って笑顔を見せた。
あたしは、あっ、と思った。
告白させないつもりなんだ!
優姫さんは言葉につまったままお兄ちゃんを見つめていたが、やがて顔を伏せた。
「……うん」
ダメだよ、優姫さん! 想いを伝えないままあきらめちゃダメだ。今まで何年もお兄ちゃんのことを想い続けてきたのに。やっと告白する決心をしたのに。
そんなのダメだ。
あたしはマスクを取って、お兄ちゃんのところへ飛んでいくと、お兄ちゃんの腕をつかんだ。
「お兄ちゃん、ちょっと来て!」
「え? なんだ? え? なに、まりも? なんだ、おい?」
あたしはお兄ちゃんを強引に引っ張って、呆気にとられている優姫さんから引き離した。そしてお兄ちゃんの胸ぐらをつかんで、怒りにまかせて揺すぶった。
「どういうつもりよ、お兄ちゃん。どうして優姫さんの話を聞いてあげないの?」
「なに言ってんだよ、お前」
「お兄ちゃんだって、優姫さんが何を言おうとしてるかわかってるんでしょ? 女の子がありったけの勇気を振り絞って、ずっと言えなかった気持ちを伝えようとしてるんだよ。逃げないで聞いてあげてよ」
「そんなこと言ったって、早瀬は男……」
「優姫さんは女の子だよ!」
思わず大きな声を出してしまった。優姫さんにも聞こえてしまった。
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