異次元を覗くエステ (05)

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おかしな街ではない。お菓子の街である。そうとしか見えなかった。

はじめのうち彩香が思ったのは、建物の中にしてはやけに広いな、ということだった。学校の体育館よりまだ広い。天井はもはや上空と言った方がいい高さにあり、全面ガラス張りだ。UVカットガラスらしく、ややグレーにくすんだ空が見えた。

目の前には五メートルほどの高さの焦げ茶色の塔があり、そのまわりを取り囲むようにマンガ的にデフォルメされた三角屋根の家が建てられている。家の向こうは土手のようになっていて、黄色と白の地層らしきものが見えた。

彩香は自分が見上げている塔が何なのかに気づいてうなった。

「これって、もしかして巨大なチョコレートファウンテンなのか……!?」

吸い寄せられるように近寄ると、甘い香りがただよってきた。最上部から流れ落ちる溶けたチョコレートが、塔の根本に池を作っている。

「まあ、すごいわ。ホントにチョコレート。おいしい」

「ちょっと、美緒、なに舐めてんの! でも、これが本物のチョコってことは、あの家も本物のお菓子の家? クッキーでできた壁にウエハースのドア、チョコクリームを塗った屋根に、マジパンで飾られたお庭、って感じだけど。実物大のお菓子の家がたくさん? じゃあ、家の向こうに見えるのは家より大きいショートケーキの断面なの?」

「まあ、彩香。これも本物の生クリームだわ。まるで夢の国みたい」

広場のあちこちに、特大のクリーム絞りで絞り出されたような白いクリームのかたまりらしきものが配されていた。床には砂糖をまぶしたランチョンマットほどの大きさのタイルが敷き詰められている。どうやらショートブレッドだ。これも本物なのかと這いつくばって噛じろうとする美緒を彩香が止めた。

「こら、美緒。落ちてるものを食べちゃいけませんッ」

『ハイハイハーイ、みなさん、ようこそムーのスペシャルエステコースへ!』

いきなり頭上から店員の声がひびいた。見上げると、チョコレートの塔のまわりを旋回しながら、銀色のバランスボールのようなものが飛んできた。全体にスリットが入っていて、声は球体の中から聞こえてくる。彩香は以前テレビで見た球体型のラジコンヘリを思い出した。おそらく小型のカメラとスピーカーが取り付けられているのだろう。

「これのどこがエステコースなんですかッ」

彩香がふわふわ浮かぶ球体に向かって声を張り上げた。

『すこし驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、これこそ一万年と二千年前から伝わる古代ムー大陸の秘法。かつて経験したことのないめくるめく快楽とともに、貴女に美と健康をお届けします』

「快楽ってなんだよ」

『まずは下地処理から。全身にチョコレートを塗りましょう。当店で使用しているチョコレートはすべてベルギーから取り寄せた最高級品。チョコのカカオ成分が脳内のβ-エンドルフィンの分泌をうながします。これによってストレス解消とアンチエイジング、さらに体内デトックスなどの効果が得られるのです。そしてカカオポリフェノールによる抗酸化作用がお肌を若返らせ、つやと潤いを与え、シワも防ぎます。食べてよし、塗ってよし。いっそ、こちらのプールに飛び込んでみてはいかがでしょうか』

「マジか……」

チョコレートに美容効果があるという話は彩香も聞いたことがあったが、チョコレートパックを試したことはない。それなのにチョコのプールに飛び込めと言われても――。

「彩香ー、けっこう気持ちいいよ。彩香もおいでよ」

振り返ると美緒がチョコのプールに膝までつかって、両手で体にチョコを塗っていた。そして、「えいっ」という掛け声とともにチョコレートの中にダイブした。

どっぷん!

「なんか楽しいよ、彩香」

全身からチョコレートをしたたらせながら立ち上がった美緒は、顔を覆うチョコを拭うと、彩香をいざなった。

彩香はおそるおそる片足をチョコのプールに付けた。妙なエステだと警戒心を抱いていたのだが、予想よりずっと妙だったというだけで、エステ以外の何かというわけではないようだ。それにちょっとウキウキした気分にもなっていた。この甘い香りのせいだろうか。

下腹と胸にチョコを塗ってみる。全裸を美緒にさらしているのが恥ずかしかったので、チョコの下着だ。それから意を決してプールの中を塔のところまで歩いていった。

チョコレートファウンテンの最下段は彩香の背丈よりも高く、そこから円筒状のカーテンのようにチョコレートが垂れていた。その真下に入る。ねっとりした温かいチョコレートが肩にあたって全身を包むようにしたたった。さながら、チョコレートの打たせ湯だ。

「それ、わたしもやりたい」

美緒が彩香のとなりに立って、全身にチョコを浴びた。

しばらくそうしていると、美緒がそっと彩香の手を握ってきた。

ドキンッ、と胸が震えた。溶けたチョコでぬるぬるする手が緊張でこわばる。

「美緒……?」

「うふふ、彩香はわたしのいちばんの親友よ」

美緒が満足げな笑みを浮かべて顔を近づけてきた。彩香は恥ずかしくなって思わず手を離してしまった。なんだかヘンだ、と彩香は思った。甘い香りにクラクラする。美緒を相手にどうしてこんなに緊張してしまうのか。

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