そう言われて、結夢はまだツンとする鼻を押さえながら男を見た。プールフェンスの外にひとつだけある常夜灯のわずかな明かりしかないが、なんとか顔は確認できる。
男は愛嬌のあるおおきな目で結夢を見つめていた。彫りの深い顔立ちで、高校生にしては老けて見えなくもない。三田村というクラスメートはたしかにいる。しかし結夢の知っている三田村は、メガネをかけたまじめな秀才タイプだ。
結夢はよくよく目を凝らして相手の顔を見た。
「どうやらホントに三田村くんのようだけど。こんなことする人だったとは意外だね」
「そりゃお互い様だ。俺だって熊田がこんなことするヤツだとは思ってなかったぞ。もしかして熊田はカナヅチなのか? 夜のプールにしのびこんで、ひとりでこっそり練習してたとか?」
「バカ言わないで。ちょっとした気分転換にきただけ。それから、あたしのことを熊田って呼ぶのやめてくれない?」
「なんで? お前は熊田だろう?」
結夢は顔をしかめた。
「苗字で呼ばれるのは嫌いなの! 可愛くないから。三田村なんて名前の人には一生分かりっこない悩みだろうけどね」
三田村はすこし困ったような顔をした。それからためらいがちに、
「じゃあ……、ユメ……だっけ?」
「男子のくせに馴れ馴れしく下の名前で呼ばないでよ!」
「どうしろって言うんだ」
困り果てた様子で三田村がうめいた。
「ふん、ちょっと苗字がカッコいいからって、あたしをバカにしてるの? あたしだって三田村なんて苗字だったら――」
「三田村ユメになりたいのかよ」
「なんであたしと三田村くんが結婚しなきゃならないのよ!」
「そんなこと言ってねーっ!」
結夢は黙り込んだ。口元まで水に浸かって水中でぶくぶくと息を吐きだして拗ねる。それからプイッと横を向いて、すぐ近くにあったハシゴに手をかけた。
「おい、熊田、何をするつもりだ」
「何だっていいでしょ。もう飽きたから上がるのよ。それに、あたしのことは苗字で呼ばないでって何度言ったら――」
「バカ、水から出るな!」
ハシゴに足をかけて勢いよく水から飛び出した結夢は、自分が何をしてしまったのか悟って凍りついた。
全裸でいるのを忘れていたのだ。
恐る恐る三田村の方を見た。三田村は目を丸くして結夢の裸体を見つめていた。
「むぎゃぁぁっっ!」
結夢は手すりから手を離して、ふたたび水中に飛び降りた。水柱があがって音を立てた。恥ずかしさのあまりしばらく水に潜ったままだった結夢だが、そのままでは息がつづかないので、五メートルほど離れた場所に顔を出した。
すると三田村がすーっと泳ぎ寄ってきた。結夢は三田村を追いやろうと手でバシャバシャ水をはねた。
「こっちにこないでよ、バカ! チカン! ヘンタイ!」
「だから水から上がるなと言ったんだ。見られて困るものなら水着を着てろよ」
正論である。結夢は暴れるのをやめて三田村から目をそらした。
三田村が自分の姿を見つけたときのことを想像してみた。たしかに夜のプールに全裸死体が浮いているとしか思えなかっただろう。それでもまだ生きている可能性を考えて助けようと行動した三田村の勇気を、結夢は称賛せざるを得なかった。
そう思うと、教室で知っているのとはまったく別の顔を見せるこのクラスメートに、がぜん興味がわいてきた。
手を伸ばせば触れるほど近くに無防備な全裸の少女がいるというのに、三田村は余裕のある態度だった。距離を保ちながらも、興味深げに結夢を見つめている。それがなんとなく悔しくて、結夢は低い声で尋ねた。
「で、三田村くんは何しにきたの?」
「泳ぎにきたにきまってるだろ。変なこと訊くんだな、熊田は――、じゃなくて、ユメは。ていうか、もうユメでいいだろ? お前も俺を吾郎と呼んでもいいぞ。いまは俺たちふたりだけなんだし、恥ずかしがることはない。ところで、ユメってどんな字書くんだ? 可愛い名前だよな」
「カ、カワイイ!? そんなこと言って、あんた、あたしのヌードを見たことをごまかそうとしてるでしょ!」
「さっきのは不可抗力だろ。どう考えても全裸で泳いでいたユメが悪い」
「むぐぅ。不可抗力だろうとなんだろうと、三田村くんは女子の裸を見たの。いいえ、たっぷり凝視してたよ。パパにも見せたことないのに。責任取りなさいよ」
「責任と言われてもなぁ」
「あんたも水着を脱いで全裸になりなさい」
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