顔を赤くして言う純の態度を気にとめず、由香は続けた。
「でも、体で誘惑されるのよ? それでも冷静でいられる? もしも、純があたしとセックスする仲だったとして――」
「せ、先輩と……、セッ……ク……」
「ほかの女からもセックスさせてあげるって言われたら、その気になっちゃうんじゃない? 男ってそういうところ、あるでしょ?」
「ぼくだったら誘惑に屈したりしません。ていうか、ぼくには先輩しか見えませんよ。どんな美人が言い寄ってきたとしても」
由香はすこしがっかりした気持ちになって、ちいさくため息をついた。
「まあ、純は中学を出てからまだ三ヶ月だから、そんなふうに言っちゃうのもしかたないか。いずれ経験したらわかるよ。あたしはそういうの、ちゃんとわかってるから。だから、彼のことも許してあげるんだ。そのうちに間違いに気づいて、あたしのところへ戻ってきてくれたら」
由香は年上の余裕を見せようと無理に笑顔を見せた。純は複雑な表情で由香を見つめていたが、やがて、ふうっと息を吐き出した。
「ぼくじゃ頼りないかもしれないけど、つらくなったら言ってください。話を聞くくらいできますから」
「あら、あんた、きのうは『何でもします』って言ってなかったっけ?」
由香が意地悪く言うと、純は頭をかいた。
「ぼくにできることだったら何だってしますよ。どんなときだってぼくは天音先輩の味方です。けっして見捨てたりしません」
童貞の夢見がちな男の子が理想論を言っているだけだとわかっていても、由香は勇気づけられる気がした。自分を慕ってくれる後輩が、がんばって背伸びしている様子は微笑ましかった。
ちょうどそのとき数人の男子生徒が美術室にやってきた。純が約束しているという友人たちなのだろう。純がなかなか現れないので呼びに来たらしい。とすると、純はきょうは部活にこないつもりだったのかもしれない。
純は友人たちを待たせたまま、由香の方をうかがった。
「行っといで。あたしは大丈夫だから」
心配そうにしながらも、純は友達と美術室を出ていった。
なんだか心の奥がくすぐったい。結局、純は由香を元気づけようとして、そのためだけに美術室にやってきたらしかった。由香が美術室に引きこもっていることも、腹をすかせていることも見通していたのだ。
美術室の窓から下をのぞくと、校門の方へ走っていく純たちが見えた。
確かに自分は純が来てくれたことで救われたのだ。
いい子だな、と思った。頼りないところはあるし、男と女のことはまだよくわかってないようだけれど、素直で優しい少年だ。
(武一が純の半分でも優しい男だったらよかったのに)
由香は武一のたくましくて力強い男性的なところに惹かれていた。優しい気配りなんて武一には望んでいなかった。
でも、いまは思う。
もっと優しくしてほしい。
奏の言葉が脳裏に蘇った。
『でも、武一くんが相談にのってくれたり、力になってくれたりして、すごく優しくしてくれた』
武一は奏には優しくしていたのだ。
由香はそのあとしばらく美術室でじっとしていた。結局、誰もこなかった。しかたがないので教室にバッグを取りに戻った。
由香が下校するときはまだ明るく、運動部や吹奏楽部はまだ練習を続けていた。
校庭の外周を空手部がランニングをしているのが見えた。武一もいる。武道場の近くには奏が立っていた。武一が奏の前を走りすぎるとき、奏が手を振ったが、武一は一瞥しただけだった。
それでもふたりのあいだに繋がりができているような気がして、焦燥感にかられた。
由香は奏に見つからないよう、早足で校門へと向かった。すねとふくらはぎが痛くなった。脇目もふらなかった。校門を出ると意識しないのに歩調がますます速くなり、いつのまにか走り出していた。
[失恋パンチ]
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