おしっこガールズ (02)
いきなり声をかけられて悲鳴を上げてしまった。
いつからそこにいたのか、企画部のユキさんが手洗い場の前に立っていた。エリはあわてて濡れたパンツとパンストをうしろに隠した。
「エリさん、だったかしら? さっきはずいぶん切羽詰まった様子で飛び込んできたからびっくりしたわ」
「い、いえ、あのッ、そのッ……、うう……。プレゼンで緊張してしまって……」
エリはうつむいて涙ぐんだ。
「プレゼンで緊張……? そう。でも、クライアント先でそんな醜態をさらしてはダメよ。いい年をした大人なんだから」
「はい……、本当に情けないです」
いたたまれなくなって視線をそらすと、手洗い場の鏡に映った自分の顔が目に入った。すらりとした美人のユキさんが小柄で童顔のエリと並んで立つと、まるでお漏らしして泣いている小学生が先生に叱られてるように見えた。
「そうだ! エリさんも、おむつを着けてみたらどうかしら」
「そんな……、おむつだなんて……」
エリはぶんぶん首を振った。
ユキさんはものすごくいいアイデアだと言わんばかりに目を輝かせている。
「あら、最近は若い女性のあいだでもおむつを着けることが流行しているのよ。オシャレなおむつも多いし。一度ランジェリーショップのおむつコーナーに行ってごらんなさい。とにかくあなたはプロなんだから、緊張を克服できないならおむつを穿くことね」
意味深な微笑みでそう言い残し、ユキさんはトイレを出ていった。
エリは呆然として立ちすくんだ。
社会人の自覚を持てと叱責されたのか、ダメな後輩としていじめを受けたのか、あるいは単にからかわれただけなのか、エリにはよくわからなかった。
ユキさんも以前はエリと同じマーケターだったと聞いている。自分で施策を立てて実行したいからと企画部に異動したそうだ。二十七歳かそこらだろうけど、自分に自信を持っている感じ。自分も積極的な性格に生まれついていたらよかったのにとエリは思った。
「おむつを着けろだなんて……。あんなふうに言わなくたっていいのに……」
額の汗をハンカチで拭いて、乱れた髪を髪ゴムで束ね直すと、エリはため息をついた。
その後はビルの下にあるコンビニでショーツとパンストを購入し、オフィスに戻った。するとテツさんが手招きした。テツさんはデータベースエンジニアのジンさんと話し込んでいるところだった。
「いま企画部のユキちゃんとも話してたんだけど、さっきのエリさんのプレゼンね、分析の視点を手直しして来週の月曜に企画部で発表してもらうことになったから」
「ええッ!?」
「大丈夫大丈夫、エリさんの分析も、足りないところはいっぱいあるけどスジはいいから。プレゼンのストーリーもイチから組み立て直せば問題ないから。じゃあ、ジンちゃん、これとこれとこのテーブルでマート作ってあげてよ。あ、残業は禁止だよ。がんばってね」
(大丈夫って、それぜんぶやり直しってことじゃないですか。しかも来週って……)
と思ったけど、できませんとは言えない。そもそもできないことを指示されるわけもない。エリは、わかりました、と答えるしかなかった。
「来週のプレゼンは俺も見に行ってやるから、しっかりやれよ」
「ジンさんまでそんなプレッシャーをかけるぅ」
「エリは自意識過剰だ。もっと気楽にやれ」
ジンさんは技術的な面の相談相手としてテツさんに紹介された人だ。ユキさんと同じくらいの年齢で、普段は口数が少ないけど会議ではよく発言する。女子高から女子大を出たエリは男性経験がなく、男の人と話すのは苦手だった。でも、ジンさんはスキルが高くて下心なしにやさしくしてくれるので、いつしかエリは想いを寄せるようになっていた。
(でも、おしっこ漏らしちゃうような子だし……。新人は仕事に集中しないと)
定時後にエリはドラッグストアに行ってみた。おむつを着けろとユキさんに言われたからだ。おむつなんて穿きたくないけど、企画部でプレゼンすることになったのはトイレでの件を受けてユキさんが持ちかけた話だろうし、ということはこれはユキさんからの挑戦状だ。尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかないと思うだけの気概はエリにもあった。
とはいえ、いくらなんでも介護老人用の紙おむつなんて穿くわけがない。中年女性向けにぱっと見ショーツに見えなくもない薄型吸水パンツというものも売られていたけど、やはり抵抗があった。そりゃあ、宇宙飛行士みたいに職業によってはおむつを着けるのも仕方ないことはあるだろうけれど、新人マーケターがそうした職業であるはずがない。
(そういえば、ユキさんは変なことを言ってたな。ランジェリーショップとか)
それでエリはランジェリーショップにも行ってみることにした。
明るい店内はカラフルでかわいらしい下着が所狭しと並べられていた。その中ほどの割と目立つ場所にダイパーコーナーというのが設けられ、『大人気! かわいいオムショーツ続々入荷』というポップが貼られていた。その様子があまりに不自然に思えて、エリは二度見した。
(おむつ! これぜんぶ……おむつだ!)
[おしっこガールズ]
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