おしっこガールズ (07)
その人はエリの視線に気づいてちらりとこちらを見たものの、すこしも表情を変えずにそのまま通り過ぎていった。
エリはその人が雑踏の中に消えていくまで尊敬と羨望の眼差しを向けつづけた。マーケターとしてのエリは確信した。おむつは一部のマニアのものでも一過性のブームでもない。まもなくブレイクして大きな波になるはずだ。
いつの間にかエリはウキウキとした足取りで口角も上がっているのに気づいた。
(もしかして、これがナコ先輩の言っていた精神の変化ってやつなのかも。ふふふ)
ランジェリーショップに着いたエリは改めておむつコーナーの品揃えを眺めた。前回来たときよりおむつの種類が増えていて、そればかりか、となりにガーターレスストッキングとニーハイのコーナーが新しく作られていた。
(思ったとおり。分析結果のとおりだ)
エリは顔をほころばせた。
世界の秘密を自分だけが知っているというような感覚。
いまの世の中の動きはこうなってるんだと誰かに伝えたい気持ち。
ほんのちょっとしたことだけれど、自分もアナリストとしてやっていけるんじゃないかという確かな手応えを感じた。
エリはベージュと黒のストッキングを色違いで何足か買って店を出た。それからカフェに寄って、生クリームたっぷりのシフォンケーキとニルギリ紅茶のセットで午後のひとときを楽しんだ。ポットの紅茶をカップに注ぎながら、プレゼンの内容を反芻してみる。大丈夫だ、発表内容はちゃんと頭に入っている。それに――。
(おむつに頼ったっていいじゃない。アウターおむつの人だっているくらいだ。おむつはもうフツーのことなんだ)
紅茶のおかわりを頼んで、一時間ほどもすると、エリは尿意を覚え始めた。
ハンドドリップでコーヒーを淹れるときみたいに、ゆっくりとおしっこが溜まっていくのをエリはうっとりと待ちつづけた。
やがて下腹部に圧迫感を感じるようになってきた。エリはお店を出て街を散歩することにした。ビル街の中、石畳で舗装されたヨーロッパ調の広い歩道を、やわらかな木漏れ日を浴びながら歩く。まわりを歩く女性たちの中にもおむつを着けている人がいるのかもしれない。
そろそろいいかな――。
そう思ってエリは体の力を抜いた。
おしっこがすーっと体から抜けていく感じ。
次の瞬間、腰から背中にかけて快感の電気が走った。
(あふッ……、あ……、ひゃ……、あんんン……)
ぞくぞくする気持ちよさが全身を包み込む。
ブラの下で乳首がピンッと勃って痛みさえ感じた。
ブルブルッと体が震えた。
出した分だけ体が軽くなっていく。
「はふーーぅ」
エリは大きく息を吐きだすと、引いていく快感の波の余韻に浸った。
まわりにいる人たちは誰も気づいていない。エリは満足した。すべての不安が消し飛んだように思えた。そうして何事もなかったようにまた歩き始めた。
月曜日。
エリはおむつを着けて出社した。タイトスカートだとおむつのラインが丸わかりなので、膝丈プリーツスカートのスーツを着た。学生時代に買ったもので社会人にはちょっと幼いかとも思ったけれど、ファッションで気後れする感じはもうなかった。
プレゼンを行う会議室へ向かう途中でジンさんに会った。
「俺はリモートで見ててやるからな。まあ、気楽にやってこい」
「練習はしましたけど、やっぱり緊張で苦しいです……」
「慣れてるように見える奴だって内心はビクビクしてるものだ。うまくやろうと考えるな。どうしても伝えたいことだけ忘れないようにしてろ」
「どうしても伝えたいこと……、ですか」
「お前はお前なりの分析結果を持って臨む。それはいまのところお前だけが知っていることだろ。それを聞いている人に伝えたいと思わないか?」
そう言い残してジンさんは自分のオフィスに戻っていった。
会議室にはユキさんと、ほかに企画部の人が二人来ていた。ほかに十人くらいの人がリモートで参加するという。
発表用のパソコンをセットしていると、ユキさんと目が合った。ユキさんはエリが緊張でガチガチになっている様子を眺めて、かすかに口元を歪めた。優越感に思わず笑みがこぼれた、というような表情だ。エリはちょっとムッとした。一週間前にユキさんに『緊張を克服できないならおむつを穿くことね』と言われたことを思い出した。
(いまわたしはおむつを穿いている。でも、これじゃダメな気がする)
エリは「ちょっと失礼します」と断ってトイレに駆け込んだ。
そして、おむつを脱ぐと普通のショーツに穿き替えた。
[おしっこガールズ]
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