食べ終わったあと、「ごちそうさま」を言って、また頭を下げた。ギョロ目さんはわたしのアイスのカップを自分のに重ねてシート裏の小物入れに突っ込んだ。それからトレーを元に戻した。
このままもう話しかけてこないで、と思ってると、男はいきなりあたしとの間を隔てていた肘掛けをあげた。
(うぎゃー、なんだこのオヤジは!)
狭いシートの中で精一杯体を動かし、男との距離を作ろうとしたけど、男の方が体を近づけてきた。
「彩風雪奈さんですよね?」
「違います!」
即答されたことでかえって確信を持ったらしく、男はニヤリと笑った。
「やっぱり雪奈さんでしたか。どこかで見たような女性だと思っていたんですよ。女子大生だなんてごまかさなくてもいいのに。いや、実物は想像以上に可愛らしい。わたし、雪奈さんの大ファンなんですよ」
「えー、知らないですよぉ。彩風なんて人。芸能人ですか?」
彩風雪奈の名前なんて、普通の女子大生なら聞いたことがあるはずない。とすれば一拍置いてから「誰ですか、それ」というのが正しい反応だ。でもいまさらちょっと遅かったみたい。
「いやいや、とぼけなくても大丈夫ですよ。今月出た『女子校生おさな妻 終わりなきレイプ地獄 先生許して 美少女優等生が堕ちた陵辱の罠』、よかったですよ」
「……」
そーゆータイトルだったとは知らなかった。ドラマのやつが今月リリースだってことはマネージャーさんから聞かされてたけど。てゆうか、そんな長いタイトル覚えてるものなの?
男は顔を寄せて、わたしの顔をまじまじと見た。それから何か納得したように、
「ホクロは書いてるんですね。彼氏バレを避けるためかな」
わたしが思わずほっぺたに手をやると、男はわたしのワンピースの裾をめくろうとした。あわてて両手で裾を押さえた。
何考えてんだ、このチカン!
「雪奈さんの太ももの内側にはホクロがふたつあるんですよ。あれは本物でしょ。それがあればあなたが彩風雪奈さんだっていう証明になるじゃないですか」
「やめてくださいッ」
なんでわたしが彩風雪奈本人だと証明せにゃならんのだ。
いや、この人がわたしのファンだというのは素直にうれしいよ。それもかなり熱心なファンみたいだし。けどさ、女優さんとの交流はもっと節度を持ってやろうよ。いい歳した大人なんだしさ。
「ちょっと、あんた。やめなさいよ。嫌がってるじゃないか」
それまでずっとパソコンで仕事をしていた窓側席の男性が、初めて口を開いた。
ああ、よかった。助けてくれる人がいて。
ギョロ目さんが窓側席の小太りさんをギョロ目でにらんで、
「あなたには関係ないでしょ」
「そんなことはない。ゆっきーが嫌がってるのがわからないのか。本当にファンならゆっきーの迷惑になることはやめろ」
あ? ゆっきー?
唖然として小太りさんを見ると、目が合った。小太りさんは恥ずかしそうに目を泳がせて、軽く会釈した。
「俺も雪奈さんのファンです。その……、いつもお世話になっております!」
「はあ」
率直に言います。わたしはキカタンとしてそこそこ人気はありますが、石を投げればファンに当たるってほど売れてるわけじゃないです。なのに新幹線の中で偶然ふたりもファンの方に出会えるなんて、とてもありがたいことだとは思います。
でも、いまはプライベートなんですよぉ。
小太りさんはまたパソコンの操作に戻った。
画面を見ると、もう会社の仕事をしてるわけじゃなかった。表示されてるのはツイッターの画面だ。
『彩風雪奈と会話した。ちょー感動。めちゃ可愛い』
というツイートがちょうど書き込まれたところだった。
よく見ると、さっきからつぶやきつづけていたらしい。
『やべっ、本物の彩風雪奈がとなりの席に座った。いま彼女と同じ空気を吸ってる。すげー、俺スゲー』
『彩風雪奈の向こうの席のジジイがゆっきーにアイスをおごってやがる。むかつくー。そんなジジイの相手しちゃだめだよ、ゆっきー』
『ちょ、オッキした。彩風雪奈っていい匂いがするぞー。スーハー、スーハー』
『うおおっ! さ、触りてー! 彩風雪奈の太ももが俺の手から三センチの場所にある! し、静まれー、俺の左手!』
この方もわたしの熱心なファンでいてくださったんだなぁ。
なんかうれしくなりました。
顔をあげた小太りさんと目が合ったので、軽く微笑みかけた。別に他意はなくて、ただちょっとうれしかったから。
「彩風雪奈さん――ですよね?」
小太りさんが申し訳なさそうに確認するので、わたしは思わずうなづいてしまった。
「ええ、まあ。あの……、雪奈です。いつもありがとうございます」
[車内セクハラ事件]
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