真琴は朝から一度も操と口を聞かなかった。顔を合わせるのも気まずい。操の方も真琴に近寄ろうとはしなかった。無理もないな、と真琴は自嘲した。
例の裏サイトには案の定、姫の新しいターゲットはY先生、と真琴が矢萩の車に乗って帰ったことが書き込まれていた。操が矢萩の個人授業を受けていても何の噂にもならないというのに。
二人の様子がおかしいのは、クラスの女子のあいだでも憶測を呼びはじめていた。
やはりこのままにはしておけないな、と真琴は思った。今回のことはすべて自分に責任があるのだ。だから、たとえ許してもらえないとしても、操には伝えなくてはならないことがある。真琴は休み時間に意を決して操に声をかけた。
「話があるんだ。ちょっと来てくれないかな」
操もいつまでも避けてはいられないと感じたらしく、おとなしく応じた。
真琴は操を誰もいない屋上に連れ出した。本格的な秋の到来はまだだったが、空は澄んでいて清々しい。柔らかな日差しを浴びていると、おだやかな気分になってくる。
「実はあたしも真琴に言いたいことがあったんだ」
操が先に話し始めた。
「あたしは昨日、真琴にとても酷いことを言いました。あのときのあたしは、すごく興奮していて、ちょっと普通の状態じゃなかった。そうだとしても、あんなことを言うべきじゃなかったし、いまでは後悔してる。口にしてしまったことは取り消せないけど、あたしが自分を恥じていることは知っておいてほしい」
操はそう言って頭を下げた。
ちょっと予想外のことだったので、真琴は戸惑った。
「操が言ったこと……?」
「昨日、ホテルの前で、その、真琴がとてもふしだらな女だと罵ったでしょ?」
「なんだ、そのことか。そのことだったら気にしてないわ。だって、あたしはまだバージンだもの」
操が顔をあげて、疑わしげな視線を向けた。
「処女なのよ、あたしは。普段、男性経験が多いようなことを言ってるのは、実は全部うそなの。なんか、みんながそういうふうにあたしを見るから、めんどくさくてそういうキャラを演じてただけ。だから気にしないで」
「そ、そうだったんだ……」
操はほっとした様子で、かすかな笑みを浮かべた。
真琴は少し落胆を覚えた。操は恋人を奪おうとした真琴を許すつもりはないのだ、と改めて感じ取ったからだ。操が暴言を謝罪したのは、借りを返そうという意図だろう。
「で、真琴の話は?」
操がうながした。操は緊張で頬をヒクヒクさせている。矢萩とのことを真琴が学校にどう報告するつもりなのかと気にしているのだ。それを思うとおかしかった。真琴はふっと息を漏らし、
「あんたと先生のこと、誰にも言うつもりはないわ。秘密は守る。あたしの口が固いのは知ってるよね。もう先生にも手を出さないし、もちろん見返りなんて求めない。今度のことは全部あたしが悪かった。謝ります。ごめんなさい」
真琴は体を九十度に曲げて深々と頭を下げた。謝ってすむ問題ではないとは思う。ただ、操を安心させてやるのが自分の責任だ。
ずっと頭を下げていると、操が痺れを切らして、ふうっと息をついた。
「顔、あげてよ。真琴がどういうつもりで先生を誘惑したのかは、先生から聞いたから知ってるわ。言っとくけど、あんたのせいであたしと先生はダメになるところだったんだからね」
「返す言葉もないわ。それと、一応伝えておくけど、先生はあんたのこと、すごく真剣に思ってるよ」
「知ってる」
真琴は体を起こしたが、操とは目を合わせなかった。
「分かんないんだけど、真琴が経験ないってんなら、あたしが言ったことであんなに怒ることなかったんじゃないの?」
真琴はうつむいて唇を噛んだ。
「事実じゃなかったとしても、操はあたしのことを『汚らしいビッチ』だって思ってたんでしょ。そのこともちょっとショックだったけど、そのあとの操の言葉に、あたしはすごく傷ついたんだ。自分でも気づいてなかったけど、あたしはあんたの恋が妬ましくてたまらなかった。それに気がついたら、もう……。真実が人を傷つけるのだわ。操は少しも悪くない。あたしのこと、イヤな女だと思うでしょ?」
「あたしだって相当にイヤな女だよ。この二日間、あたしが真琴のことをどう思ってたか、とても口にはできないもの。ねえ、真琴。あたしたちって、親友同士だと思ってたけど、実はお互いのこと全然わかってなかったんだね」
「そうだね。そう思うわ」
そこで会話が途切れた。
伝えるべきことは伝えた。操と友だちでいたい。その気持ちを除いては。
「あたしの話はそれだけ。じゃ、そろそろ教室に戻らないと」
そう言って、真琴は結局、操とは視線を交わすことなく立ち去ろうとした。
「ちょっと待てよ!」
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