第9話 すべての呪いが生まれた日 (11)

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カピバラやペンギンを見てあたしがだんだんと元気を取り戻してくると、沢渡さんもいろいろ話しかけてくるようになった。

「カワウソ、かわいいー。ね、沢渡のおじさん」

また間違ってお父さんと呼ばないように注意しているのに気づいて、沢渡さんは自分の娘のように肩を抱いてきた。あたしもパーソナルスペースを詰めて親近感を出す。沢渡さんは性的な関心をあたしに抱き始めている。あたしを異性として意識し始めている。

イルカショーは大きな円形のプールで行われていて、まわりをぐるりと観客席が取り囲んでいる。春休みなので子供連れが多い。前の方の席はほとんど人がいないけれど、これは水しぶきでびしょ濡れになるからだ。あたしたちは水がかからないギリギリ前の席に陣取った。

このころには沢渡さんもすっかり元気になって、イルカがジャンプするたびにあたしと一緒になって歓声をあげた。天井から落ちる水のカーテンに映像が映し出されていて、いかにも都会的な演出だ。どちらかというと、水族館やプラネタリウムでは映像や音楽による人工的な演出は好きではないのだけど、沢渡さんは喜んでくれている。こんなふうに女の子と遊ぶのはずいぶんと久しぶりなんだろう。

ショーが終わって水族館を出ると、沢渡さんの猫背は治っていた。

あたしたちはすぐ近くの高級ホテルの敷地内にある、たくさんの桜が植えられた庭園へと向かった。このあたりではよく知られた桜の名所だ。

「声を出して笑ったのなんて、いつぐらいぶりだろうな。もう何年も笑ったことなんてなかったような気がするよ」

沢渡さんは遠くを見るような目をして言った。

「やあ、ここは本当に桜がきれいに咲いているね。都会の真ん中にこんなに広々とした場所があるなんて知らなかったよ。沙希ちゃんは前にも来たことがあるのかい?」

「ううん。今朝ネットで調べたんだよ。それでちょっと探検してみようと思ったんだ」

あたしは家出少女という設定に沿ったウソを答えた。

「この街には仕事でちょくちょく来ていたけど、このあたりを歩いてみようなんて思ったことはなかったよ。たぶん、ぼくにはすごく小さな世界しか見えていなかったんだな。世の中にはもっとたくさんの色があるというのに」

「おじさんの気晴らしになったならよかったよ」

「沙希ちゃんが言ったとおり、ぼくは先週会社をリストラされたんだ。もともと会社自体かなり危ない状況で、希望退職者を募っていたんだよ。いまのうちに転職した方がいいかもと思わないでもなかったが、いまのご時世じゃ転職も厳しいからね」

自分のことを話し始めた沢渡さん。でも鎮痛な表情はしていない。

「でも、働き方改革についていけない中間管理職なんて真っ先にリストラ対象さ。しがみつくこともできただろうけど、さして大きな会社でもないし、倒産したら元も子もない。退職勧奨に応じるしかなかったよ。昔はこの辺の取引先企業と組んでいくつもプロジェクトを手掛けて、やりがいも感じていたんだが。ここ何年かは気持ちも乗らなくなっていたしね。でも、いざお前はもう使えない、不要な人間だ、と言われてしまうと……。思った以上にショックでね。本気で転職なんて考えていなかったから、心の準備もなかったし。家族にはまだ話せていないんだ。妻には『あなたの会社はまだテレワークにならないの?』とか言われてる始末だよ」

家出少女に話しても通じるわけがないと考えているのか、ひとりごとみたいなものだ。あたしは黙って聞いていた。退職金がもらえるうちに辞めれてよかったじゃん、とか無神経なことは言わなかった。

「もう昼を過ぎたな。沙希ちゃん、お腹がすかないかい? お昼ごはんにしよう」

「じゃあ、コンビニで何か買って――」

「いや、せっかくだから、ここのホテルのレストランにしよう。嫌いな食べ物とかあるかい? もちろん、ぼくがご馳走するよ」

沢渡さんはホテルの中にあたしを連れていき、いろいろ迷ったあとで比較的入りやすい感じの和食レストランを選んだ。とはいえ、ランチでも五千円くらいいくお店だ。以前、会社役員のおじさんに誘われてこのホテルのロイヤルスイートに泊まったことがある。そのときは別の鉄板焼レストランでステーキとオマール海老のディナーコースをご馳走された。でも沢渡さんは失業中なんだから無理しなくてもいいのにと思った。あたしは百二十円のおにぎりでもよかったのだし、それで十分楽しめるんだから。

サービス料を取られるようなレストランはあまり入ったことがないらしく、沢渡さんはそわそわしていたけど、けっきょく値の張るランチコースを頼んだ。あたしも同じものにした。女性は半額になっていたからだ。

「正直言うと、こんな場所で食事をしたことはないんだが、今日はやったことのないことをしてみたい気分なんだ」

と沢渡さんは言った。あたしはホッとした。最後の晩餐に贅沢したいとかだったらどうしようと心配していたのだ。どうやら、ずいぶんと前向きな気持ちになれたらしい。

「ねえ、おじさん。ほんとは会社の業績が傾く前から、別の仕事をやってみたいと思っていたんじゃないんですか?」

「え? ううむ、どうだろうな」

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