使徒8:1-8

散らされた人々は

  エルサレムの教会には、2つのグループがありました。アラム語を話す人とギリシャ語を話す人の2つです。エルサレムの教会に対する迫害は、ヘレニストと呼ばれる、ギリシャ語を話すユダヤ人たちのグループに限定されます。12使徒を中心としたアラム語を話すユダヤ人の群れには、迫害は追っていませんでした。12使徒を中心としたグループは、ユダヤ教の一部(ユダヤ教イエス派とかナザレ派と呼ぶ)との認識で、ユダヤ教の本流とは対立していないのです。その2つのグループの違いは、エルサレム教会とアンテオキヤ教会の方針の違いなどにも出てきます。

他のを見てみると、エルサレム教会の代表である主の兄弟ヤコブは、神殿に入っても特に何も危害を受けることはなかったのですが、アンテオキヤを拠点として伝道するパウロは、エルサレムの神殿に上ったところで逮捕されたこともありました。)

 使徒言行録によると、ヘレニストが軽んじられているために、ヘレニストから執事を立てた記事がありますが、ある意味この時には、教会が2つに分かれていたと言えるでしょう。ステファノの演説などを読むと、教会の世話人と言うよりは、どう見ても指導者の立場をとっています。また、ヘレニストのグループは本流のユダヤ教について批判をしていますので、ユダヤ教内の人が迫害をたと思われます。ですから、ユダヤとサマリアの地方に散ったイエス様を信じる人々は、このヘレニストのグループだったということが言えます。そして、そのヘレニストのグループを執拗に追って迫害した本人がパウロ(当時サウロ)です。

.サマリアに なぜ?

 サマリアはかつて北王国があった場所あたりを指し、ユダヤ教から見ると異教の国、そして交通の要所です。フェニキアは海洋民族の生まれた地方ですが、その流れを汲んで、地中海交易の要所です。また、アフリカ大陸とアジア・ヨーロッパを結ぶ道路が通り、その交易で潤っている町々に、エルサレムを追い出されたヘレニストが向かったのだと思われます。そして、ローマ帝国の公用語はギリシャ語ですから、生まれた時からギリシャ語で育ったヘレニストが パウロに追われて、サマリア・シリア・小アジア・およびエジプトに向かったと考えられます。

.教会を荒らした?

パウロ(当時の名はサウロ)は、教会を荒らしたとここに書かれていますが、実際当時は(少なくともAD70年の神殿崩壊ごろまで)ユダヤ教とキリスト教の区別は無かったので、正確な記事とは思えません。しかし、使徒言行録が書かれた時代には、キリスト教会がユダヤ教分かれてしまったので、このような記事になったと思われます。実際に起こっていことは、「ヘレニストが本流のユダヤ教を批判しながら、各地のシナゴークに入り込んでいった」と考えられます。実際にユダヤ教も色々な派があり、その教義も幅の広さがあるようですので、本流にいるファリサイ派の人々を批判していた事が、問題だったと思われます。

(サドカイ派は、ファリサイ派に最後は従ったし、エッセネ派はローマ戦争でも一緒に戦っていますので、そのどれにも組していなかったと思われます。

.フィリポのしるし

「しるし」は、「霊を追い出すこと」や「いやし」で、表されました。フィリポの「しるし」を見たり聞いたりした人々は、こぞってフィリポの話に聞き入りました。12弟子が、イエス様の「しるし」を何度も何度も見ながら、イエス様を信じなかった。それに対し、異教の土地サマリアでは、「しるし」を見たり聞いたりした人々がフィリポの話を「こぞって聞き入った」わけです。信仰の下地は無いにもかかわらず、イエス様と行動を共にしていたころの12弟子たちよりも、異郷の地サマリアの人々は、素直に聴けたのかもしれません。

マルコによる福音書では、重ねて重ねて「弟子たちは信じない」、「しるし」を示される、「弟子たちは信じない」、「しるし」を見せられる、「弟子たちは信じない」を繰り返し記事にしていました。弟子たちは、イエス様を求めていたのではなくて、弟子たちの望むイエス様を待ち望み、「そのしるし」を求めていたのでしょう。その点、サマリアの民は、ユダの民とは異なり、ローマ軍の本拠地カイザリアがありますから、あまり政治的な独立に興味が無く、むしろローマの物流の移動で潤っていたわけですし、ユダヤ人としての誇りが高いわけでもありません。そういう意味で、「しるし」を理解できる信仰が与えられていったのではないでしょうか?

(以下参考)

フィリポは12弟子ではなく、7人の執事の一人の方です。フィリポ(福音宣教者)、フィリポカイザリア(町の名前)

6:3 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。6:4 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」6:5 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、6:6 使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。

この時に選ばれた7人が、やはり伝道の中心になったと言えます。フィリポには、エチオピアの宦官への伝道、魔術師シモンなどの記事が、聖書にあります。