マタイ25:1-13

 その日、その時を知らないから 

 1.ユダヤ人の婚礼

  ユダヤの伝統的結婚について、知っておかなければなりません。要約すると次の通りです。

 ① 許嫁の段階:父親が、息子の嫁を探します。
 ② 婚約の段階:父親が、嫁候補の家に行き、祝宴を開きます。1週間も祝宴が続き、
         最後に息子が嫁候補に杯を渡します。そして、杯を受ければ、婚約成立。
         その後、婿は約1年間の清めの時期となり、酒を断ちます。
         そして、婿は父親が良いと言うまで、嫁を迎えに行けません。
 ③ 結婚準備 :父親の許可が出ます。夜に行われる婚宴の準備をします。
         婿は、嫁の家に迎えに行きます。嫁は10人のおとめと到着を待ちます。
         息子は嫁の家に上がって、家族に挨拶と交渉。
         10人のおとめの明かりで、父の家で行われる宴会に向かう。

 今日の聖書の箇所は、③になります。宴会の準備ができた後にやってくる婿を待っているとき、油を別の容器に用意していたおとめと、そうでないおとめの話でした。婿が来た時点で、すでに油が切れそうなおとめたちは、油を買いに出ます。

 理由は、この先が長いからです。宴会の前に、結婚の契約を結ぶので、それなりに時間がかかってしまいます。婿と家族の間の挨拶と交渉の間に油が切れてしまうことが容易に予想されたからです。そして、油が無くなっても一緒に行くことはできますが、新郎新婦の足元を灯す役割ですから、明かりなしでは役に立たないことになります。

 ですから、「花婿(イエス様をさします)を迎えるときに、いつ来ても大丈夫なように準備をして待っていなければ、宴会(天の国を譬えている)に入れなくなってしまう。」ことを譬えています。

2.イエス様の再臨はいつか?

 この譬えは、天の国についてイエス様がお話になりました。イエス様は天の国について、このようなことを言っています。

 ヨハネ『14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。』

 父の家とは、天の国になりますが、天の国に「弟子たちの場所を用意したら、戻ってくる」と、イエス様はお話になりました。 イエス様は、最後の晩餐の時にこのように弟子たちに言っています。この言葉は、復活のことではなくて、再臨を指しています。

(十字架→復活→昇天→聖霊降臨「→再臨」)

なぜ、再臨を指しているのかと言うと、イエス様が再臨する時についてマタイに書かれているからです。

マタイ『24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。24:38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。24:39 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。』

 今日の聖書の箇所は、イエス様の再臨について書かれたものです。マタイによる福音書が書かれたころは、終末(=イエス様が再臨し、裁きを行う)が「すぐにでも来る」と考えられていました。そういう意味で、イエス様が再臨されるときを待つことを、寝ずに花婿を待っているおとめに譬えているのです。しかし、10人とも寝てしまいます。起きて待つことが難しいほど、時間がたったからです。そして、問題にされたのが寝てしまったことではなくて、どれだけ長く待っても大丈夫なように、油を予備で持っていたかどうかでした。しかも、だれか一人が油を切らさなければ普通は問題ないのですが、天の国の場合は、一人一人が「油を絶やさずに明かりをともし続けなければならない」と、厳しいことをイエス様は言われているのです。そのように準備していなければ、天の国には入れない。そればかりか、イエス様と言う花婿と出会うことができなくなってしまうのです。マタイによる福音書が書かれたころ、終末が間もなくやってくるという事で、財産を売り払う人も出ていたとのエピソードがあります。しかし、本当に、その時がやって来るまでには時間がかかるのだから、信仰の灯をともし続けられるよう、準備が必要だという事教えられたのです。


余談: 結局、終末は2000年たってもやってきていません。ですから、2世紀ぐらいになってくると、「すぐに終末がやってくる」という考え方は、薄れてきました。一方で、終末の時を予言(預言ではない)する試みや、その不安を煽るようなことは 無くならないようです。