マタイ27:57-66

 イエス様のお墓 

 1.アリマタヤのヨセフ

 この人は、4つの福音書で同じ場面で登場します。マルコが最も詳しく書かれています。

マルコ『15:42 既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、15:43 アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。』

 

 11弟子でさえ、恐くて逃げてしまっているのに、このヨセフは大胆にもイエスの弟子であることを隠しながら、遺体引き取りを申し出ました。そして自分のために用意した墓(相当に財力があったことを示します)に納めました。そして、大きな石で蓋をしました。そこに立ち会っていたのは、マグダラのマリアともう一人のマリア(おそらくヤコブの母)です。(下にその様子を描いた絵を添付しています。)

 

.番兵 墓を見張る

 

明くる日とは、日が落ちたすぐ後のことだと考えてください。夜が明けたのではないのです。祭司長たちとファリサイ派の人々はピラトのところに集まります。夜中にいきなり大勢で押しかけられるところですから、ピラトの家でもローマ軍の駐屯している要塞でもないでしょう。たぶんいつものように浴場にいピラトを目指して、祭司長たちが集まったのだと思われます。そして、このようなことをピラトに訴えます。

『27:63 こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。27:64 ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」』

 

祭司長たちは、イエス様の処刑が終わった後も安心できなかったのでしょう。そして、生き返ったなどとイエス様の仲間が言い出した時には、「預言者を殺した そしり」を受けるだけではなく、かえって「イエス様を信じる人々が増える」ことを心配したのでしょう。ましてや、「イエス様が神であった」と言う人が出だしてしまっては、大祭司たちの立場はまったくありません。

それを防ぐには、3日目までローマ軍に警備をしてもらう必要があります。ローマ軍であれば、群衆が殺到しても守り切れるからです。そういう訴えを祭司長たちはピラトにしました

 

ピラトの立場から言うと、関心が薄かったのでしょう。もしくは、ローマ兵を出して群衆とまた衝突するのが嫌だったと思われます。祭司長たちの雇っている番兵たちに墓を守らせるように言います。(ローマ軍行動する最小単位は、百人隊2つ分と大規模ですから、ピラトの指示は妥当でしょう。

 

祭司長たちは、さっそく番兵を出して墓を守らせ、入り口の岩を封印させました。ローマ軍を出してもらえなかったので、遺体を盗まれることを防止することはあきらめて、外から封印を外した者がいることを立証できるようにしたと思われます。

イエス様の遺体が残っていれば、復活していないことが言えます。

そして、イエス様の遺体が無くても、封印が壊されていれば、盗まれたと言えます。

つまり、封印されたままで、「三日後に墓を開けたら遺体が無かった」事実がない限り、復活したとは言わせないと言う考えです。また、番兵が戦って怪我でもしたら、それは遺体が盗まれたとの状況証拠となります。

 この祭司長たちの謀は、結果として、イエス様が復活したことを証明してしまいます。


ユダヤでは、日没前に墓に埋葬します。それが困難な時も、可能な限り早く(日が昇る前に)済ませます。しかし、その日暮れると過ぎ越しの祭り(安息日)になってしまうので、仕事はできません。ですから、亜麻布に包んで遺体を置くところまでで、いったん引き上げたのです。

 墓はこのような構造をしていました。  画像は、googleサイトより