マタイ28:16-20

 世の終わりまで、主が共に 

1.ひれ伏す11弟子

  復活の日の朝、婦人たちは墓に行き、復活したイエス様に会います。そして、このにイエス様は言いました。

『28:10 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」』

 この伝言で、11弟子たちはガリラヤに行きます。マタイの記事にはありませんが、ガリラヤの何処の山かを別途指示されていたようです。ガリラヤ湖の西側に湖面から380mの高さのアルベル山があり、そこからガリラヤ湖を見下ろせます。例えばこのような場所に集まったのでしょう。他にも、山上の垂訓を行った場所かもしれません。どちらにしても、イエス様と弟子たちのゆかりの地でしょう。そして、11弟子全員がそこに集まります。『疑う者もいた』と書かれているように、全員が全員、イエス様が復活したことを信じて集まったのではないようです。しかし、まったく信じられないのなら、集まらないはずですから、半信半疑だったのだと思われます。11弟子は、イエス様に会うと、近づかずにその場でひれ伏しました。イエス様を見て、イエス様が本当に生きていることを知ったからです。しかし、まだそのことを受け止めきれていませんでした。

2.イエス様の命令(大宣教命令)

イエス様は、弟子たちに近づいて、父なる神により全ての権威を授かった事を宣言されました。そして、弟子たちに命じられました。

『28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、28:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」』

イエス様の命令は、父なる神様の命令です。イエス様は弟子に全世界への伝道のために出発することを命令しました。11弟子たちが、全世界で伝道してイエス様の弟子を増やすことを期待されています。弟子にするために、「洗礼(バプテスマ)を授けて、イエス様のご命令を守るように教える」ことも、合わせてお命じになりました。バプテスマは、父と子と聖霊の名前で行うようにも命令をしています。この使徒言行録の箇所でも、聖霊が確かに働かれてバプテスマが行われています。父なる神、子なるキリスト、そして聖霊。そのなかで、私たちに直接働きかけるのは、聖霊である神様です。イエス様は、聖霊を共に働かせることによって、私たちと寄り添ってくださるのです。

使徒『8:36 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」†8:38 そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。8:39 彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。』

 

これまでのバプテスマは、ヨハネのバプテスマでした。それは、悔い改めのバプテスマであります。バプテスマは、元来「水に浸す」という意味をもちます。ユダヤ教のエッセネ派では、宗教的な清めの儀式として、身を水に浸すことが行われていました。ヨハネのバプテスマは、その発展形だと思われます。そして、イエス様のご命令は、清めの儀式でもなく、悔い改めでも無いバプテスマを授けるようご命令なさったのです。それは、罪からの清めと、キリストと一致する新しい生活に入るしるしとなり、教会の重要な礼典となりました。ローマ書にあるように、「キリスト・イエスに結ばれるため」、「キリストと共に葬られ、新しい命に生きるため」バプテスマを受けるのです。

ローマ『6:3 それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。6:4 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。』

イエス様は、その使命を与えた11弟子たちにこのように約束されました。

『わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」』

伝道の働きは、大きな喜びです。しかし、喜びだけではなく、闘いや困難があります。教会の歩みも順調とばかりは行きません。それでも、イエス様は、ご自身が再びこの地に来られ、天の御国が完成するその日まで、いつもともにいて下さるのと約束してくださったのです。決して離れることはないのです。弟子たちは、イエス様の命令を受け、不安や恐れに満ちていたのでしょう。そして、イエス様を裏切って従っていけなかった自分たちの弱さを覚えていたのでしょうか。そこで、イエス様は、11弟子たちに向かって告げられたのです。私たちを愛し、私たちの罪のために十字架で死なれ、死に打ち勝ち復活されたイエス・キリストが共にいてくださる・・・と。

イエス様が、私たちの教会と私たち一人ひとりに、この宣教命令を託して下さっています。イエス・キリストが共にいて下さいますから、安心してこのご命令に従って参りましょう。