詩編72:1-14

豊かな平和に 

この詩篇72篇は、ダビデの祈りです。ソロモンの詩と表題にありますが、原語の聖書にはそのような言葉はありません。しかしながら、王ダビデが息子ソロモンの即位に際して歌った内容であることは、内容を読めば理解いただけると思います。加えて20節には、この様に書かれています。

『72:20 エッサイの子ダビデの祈りの終り。』

1.ソロモン王への祈り

ダビデがソロモン王に、そしてその子に求めていたものは、公正です。ダビデは、ソロモンに油を注ぐときにこの詩を歌ったのでしょう。神の恵みと正しさをもって王が国を治めるように願いました。

 山には、平和なときにも山賊や獣がいて、決して安全ではありません。丘は、町(建てては壊しで、丘の様になった町)のことをさすのでしょう。町は、経済の中心地でありますから、より貧富の差が大きい場所です。そのような山には平和、町には恵みがあるということですから、国全体が王の治世で平和であり、恵みにあふれているということを願った詩だと言えます。そこまで、周囲の敵によって平和が脅かされていましたが、神の正義によって、平和が保たれますように、と祈ります。

2.王国への祈り 

 日と月の続く限り、月のなくなるときまで、この王国が、国で最も弱い者に対して恵みを与え続けるように歌うのです。また、王が雨のように、牧場や民に潤いをもたらすように祈ります。また王国が代々神に従うものであり、その王国が失われるときまで、この国が豊かに恵まれますように祈ります。そして、そのソロモンに引き継ぐ王国が、領土を広めますように・・・・。

 王国は、一般に限りなく続くことはありません。他国に攻められて負けたらすぐ終わりです。その防御のために人、金、物を王国で調達すると、経済が疲弊します。それでも、民が貧困に陥らないように、恵みの政治をしなければ、王国は立ち行かなくなります。そうならないように、良い政治が必要です。

3.主を求める人

 砂漠に住む民、とは、エドム、モアブ、アンモンとかの敵対してきた民です。エドム(後にイドマヤ)は、エサウの子孫、モアブとアンモンはロトの子孫なので、遠い親戚ではあるのですが、ダビデの時代には、危険な隣国でしかありませんでした。その敵が、身をかがめて王に拝謁する、つまり臣下の礼をとるのか、または力で屈服させることを祈ります。

タルシシュはスペインのことです。島々と言うのは、ヨーロッパ地中海の島々を指しますから、当時知られていた世界の端から端を指します。ソロモンは、地中海貿易のために4年に1度の定期船団を運用していましたから、相手は地中海全域と考えていいでしょう。シェバとセバは中近東にあった国のことです。ソロモンに、シェバの女王が貢ぎ物を持ってきました。この詩の通りに成就したのか、この詩がその出来事の後に出来たのかはわかりません。すくなくとも、この詩は、列王記や歴代誌とよく一致しています。

主に従うソロモン王には、すべての王がひれ伏します。そして、すべての国がソロモン王に仕えますように。そうすれば、すべての国が主に従うようになります。

4.弱い者への救い 

助けを求める弱い者たちを憐れみ、助ける王。その資質をもっているからこそ、王国を治める資格があるはずです。

『72:13 弱い人、乏しい人を憐れみ/乏しい人の命を救い72:14 不法に虐げる者から彼らの命を贖いますように。王の目に彼らの血が貴いものとされますように。』

弱い人、乏しい人を 不法に虐げる者がいた。そのように詩編は宣言しています。そして、虐げられた彼らのを血を、命は尊いものとして、不法を働く者に命じて贖わせるソロモン王であることを祈って、求めたのです。