ルカ8:40-56

 会堂長ヤイロの信仰

 

1.会堂長ヤイロ

 会堂長ヤイロとあります。当時は、政治と宗教が一体でしたから、町の名士と言えます。雇い人たちが複数いそうな記事を見ても、豊かであったのだろうと思われます。

 ヤイロの一人娘が約十二歳。もう、結婚適齢期を向かえようとしています。その一人娘が、病気になっていたわけですから、医者にも観てもらっていたのでしょう。けれども、良くならないで、死にかけているので、ヤイロは困っています。自分では娘に何もしてやれないし、すがる相手は直せなかった医者しかいません。現実に、何もしてやれないのです。社会的に地位が高い会堂長ヤイロでしたが、娘に迫り来ている死に対しては、まるで無力でした。ヤイロはプライドを打ち捨てて、イエス様のもとに来たのです。そしてイエス様の前にひれ伏して、家に来てくださるようにとお願いましました。ヤイロは、イエス様ならば娘を助けることが出来ると、希望をもってやってきたのです。たぶん、ヤイロの家の者がイエス様の情報を聞いたのでしょう。ヤイロもヤイロの家の者もイエス様にすがることで一致して、イエス様を呼びに人を出すのではなく、確実に、できるだけ早く来てもらおうと、会堂長ヤイロ自身がやってきたのです。そして、群衆がイエス様の到着を待って集まってきている中、最前列まで出てイエス様を待ち構えていました。


2.長血の女

 そこに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも治すことが出来なかったこの長血の病の女は、その医者にかけた費用や、宗教的理由で、生活が破綻していました。裕福な家であっても、12年も医者に掛かっていたら、経済的に困難なことは間違いないでしょう。また、血はユダヤ教では汚れとされますから、出血している間およびその後7日間に接触した人は、7日間汚れます。つまり、汚れてはこまる人々は、血が止まらない人には接触しません。また、礼拝のために会堂に行くこともできません。血が止まって7日を経過した後、祭司に清めの儀式をしてもらう(レビ15:19)までは、汚れを厭わない人としか会うことができないのです。そういう意味で、12年間と言う期間は極めて長く、治ることを切望していたと言えるでしょう。しかし、どの医者にすがっても治りませんでした。この女は、イエス様のうわさを聞いて、汚れている身ながら、意を決して、イエス様のところに出てきたのです。ですから、彼女は「イエス様の服のふさにでも触ることができたらきっと直る」と信じたのです。そして、彼女はその信仰を実行に移します。


 ヤイロの話を聞いて、イエス様は彼の家に向かっていました。ところが、簡単には前に進めません。イエス様がゲラサに行っている間に、癒しを受けたい人、話を聞きたい人、野次馬たちが殺到していました。 彼女は、ヤイロがイエス様の前に出たのとは逆に、イエス様のうしろに近寄りました。とても人が多くて、人をかき分けたとしてもイエス様の前に出られなかったのです。そして女は、イエス様の服のふさにさわりました。イエス様は、この女によって汚されようとしたのです。しかし、女がイエス様の服のふさにさわると、この女が清められたのです。そして、たちどころに出血が止まりました。

 

 するとイエス様は立ち止まります。そして、「わたしにさわったのは、だれですか。」と問いただします。ペトロは当惑して言います。「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」。おおぜいの群衆がみんなイエス様にさわっているのです。みんなが、イエス様にさわればいいことあるとか思ってさわっています。それなのに、「誰がわたしにさわった」なんて言っても、そりゃあ無茶な質問ですよとペトロは言うわけです。けれどもイエス様は、なお言います。「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」

 イエス様を信仰をもって、そして祈るようにさわったのは一人、長血の女でした。その信仰が、イエス様のからだから神様の力を引き出したのです。 この女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、いやされたことを話しました。

すると、イエス様は、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と、この女に声をかけました。この言葉で、この長血を癒された女は、社会生活も回復したのです。


 さて、長血の女をイエス様が捜しているとき、会堂長のヤイロはイエス様のそばで、困っていました。

「私の娘は、今あなたを必要としている」だから「その女にかまわずに、早く前に!」という気持ちだったにちがいありません。それでも、イエス様は長血の女を捜し、女の話に耳を傾けたのです。

 そうしているうちに、会堂長の家から使いの者が走ってきて言いました。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」 ヤイロも、ヤイロの家の使いの者も、イエス様に期待していました。それが、たった今死んだと知らされたのです。それなのに、イエス様はこういわれました。

「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」


  実際、ヤイロの家に着いてみると、そこはもう葬式の準備が始まっていました。人々はみな、娘のために泣き悲しみました。しかし、イエス様は、「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」と言います。人々は、これを聞いて、イエスをあざ笑います。

 イエス様は、死んでいる12歳の娘に向かって命令します。「娘よ、起きなさい」すると、娘はただちに起き上がったのです。

 自分の無力を悟って、イエス様の前にひれ伏したヤイロの信仰。また、絶望のなかからイエス様に触れてイエス様の服の房から力を引き出した長血の女の信仰を学びました。イエス様を信じ、そしてイエス様に祈ってすがるならば、病も、そして死をも克服できるのです。


 イエス様は、まことに信頼すべきお方です。身分や地位で分け隔てをなさらないイエス様、死の中からいのちを呼び出す権威を持つイエス様。このイエス様を信じ、イエス様に祈って、イエス様に従って参りましょう。