使徒28:17-31

聖霊は語り続ける

イザヤ書の引用について

 参考までに、引用元は、この文となります。

イザヤ『6:9 主は言われた。「行け、この民に言うがよい/よく聞け、しかし理解するな/よく見よ、しかし悟るな、と。6:10 この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」』

 使徒言行録の訳もイザヤ書の訳も何を言っているのかわかりません。原文が極めてシンプルなため、直訳では言葉が足りないのです。また、「理解するな」等と命令形に訳しているところは、ただの否定として訳すのがよいと思われます。リビングバイブルの訳では、このようになっています。

『では、行くがよい。そして、こう言うのだ。「おまえたちは、神の言葉を耳にたこができるほど聞いても、悟らない。神の奇蹟ををあきるほど見ても、どんな意味か分からない。」彼らの理解力をにぶらせ、耳を閉じ、目を見えないようにせよ。彼らには、見たり聞いたり悟ったりまた病気を治してもらうために、わたしのもとへ戻ってほしくないのだ。』

 かなりショッキングな神様の言葉です。しかしながら、この言葉は、期間限定であります。未来永劫このような状態ではないのです。そして、『それでも、切り倒されてもなお新芽を出す切り株のように、必ず立ち直る』と神様は、言っています。決して、この神様の言葉はユダヤ人たちを呪ったものではありません。逆に、どんなにイスラエルがしいたげられようとも、必ず復活することを神様は約束されていたのです。

 パウロは、ローマに到着すると番兵はつけられたものの、ローマで家を借りて一人暮らしが許されていました。ですから、パウロは多くの人々と会うことが出来たわけで、獄中とはいえ恵まれた環境にいたわけです。

1.パウロの説明

 エルサレムの神殿でユダヤ人に訴えらえたパウロは、ローマで招いたユダヤ人たちに、弁明します。パウロは伝道者としてローマに到着したのではなく、囚人としてローマにとらわれているわけですから、自ら進んでその経緯を説明します。そして、その説明こそが、パウロの信仰でありました。

①パウロは、罪を犯していない

 ユダヤの民に背いたことも、先祖から引き継いだ律法を守る慣習に対して背いたことはない。

②囚人となった経緯

 エルサレムで、ユダヤ人から囚人としてローマに引き渡された。

 ローマの取り調べでは、無罪釈放となるはずだったが、ユダヤ人が反対した。

 ユダヤ人を告発するつもりはないが、ローマ皇帝に上訴した。

(ローマに来ること、そして騒動を鎮めることを考えると、ほかに方法がなかった)

※パウロ信仰

 律法はイエス様によって成就された。いまや、律法を画一的に守ることが大事なことではなく、十字架で私たちの罪を贖った神の子イエス様を信じ、その掟(律法の精神はすべて含まれている)を大事に守りたい。

 

2.ユダヤ人たちとの会話

 パウロは、ユダヤ人たちにお会いして話したいとお願いしました。パウロは、これまでもローマのユダヤ人と手紙のやり取りをしていましたが、パウロの言いたいことが十分に伝わるためには、相手が大勢になっても、直接会ったほうが良いと考えたのだと思われます。ローマのユダヤ人たちもパウロの話を聞きたがっています。パウロがローマにとらわれたことについても、パウロがしていることについても、エルサレムから何ら書面が来ていないと説明します。つまり、正式な最高法院の指示や見解は来ていないという事です。一方で、現実としてパウロはローマの囚人としてやってきました。そして、パウロの属する分派(イエス様の弟子のグループ)については、至るところで反対があることをうわさで聞いています。ここで、ローマのユダヤ人たちは、直接パウロから話を聞きたいと申し入れます。


 パウロ自身が、その至るところでの反発を受けていました。と、言うよりはエルサレムの教会は、ユダヤ人たちとうまくやっているのですが、パウロの周辺では、絶えず反発がありました。そのことについて、パウロとローマにいるユダヤ人たちが話し合うことになります。

 ユダヤ人たちは、大勢でパウロの宿舎にやって来ます。パウロは、朝から晩までパウロが訴えられたことについて説明を続けました。それ自体が、神の国についての証しであったのです。モーセの律法や預言者の書を引用して、イエス様を信じるように伝道をしたのです。その結果、 ある者はイエス様の事を信じましたが、、他の者は信じようとはしませんでした。

 パウロは、イザヤ書を引用して、この信じない者(ユダヤ人たち)が預言されていたことを引用し、だから、ユダヤ人への福音は異邦人に向けられると宣言したのです。

 

3.むすび

 パウロは、ローマにいる間、自由に自宅で伝道することが出来ました。そして、聖霊の働きに従って、多くのユダヤ人たちと、異邦人たちを導きました。パウロは、ペトロと同じAD64年ごろに殉教したとされていますが、その最後について、証明するような記録は残されていません。しかし、パウロの働きに関する記憶は、いまも世界中の人々の心の中に残っているのです。