エゼキエル書37:1-14

枯れた骨よ、主の言葉を聞け

  

1.枯れた骨

箴言『17:22 喜びを抱く心はからだを養うが/霊が沈みこんでいると骨まで枯れる。』

この様に、旧約の時代には、絶望すると、「骨が枯れる」と表現していたようです。

「ある谷」とは、バビロンの川のほとりなのでしょう。そこには、骨が枯れてしまったイスラエルの民がたくさん住んでいました。祖国を失い、この国では建設の仕事に従事していたのです。そして、イスラエルの民の心の支えであったエルサレムの神殿は破壊されつくし、民はより頼む神様を失っていました。もちろん、この様になったのは、イスラエルの民がそして為政者が神様を忘れてしまって、罪を重ねてしまったからです。神様は、そのためにバビロンの王ネブカドネツァルを使って、ユダの国を滅ぼしつくしました。しかし、神様はその民を生き返らせようとしているのです。この民は、本当に死んで骨になったのではなく、生きる希望を失っていたのです。ですから、彼らの骨は、枯れていたと表現されています。

2.生き返る骨

『37:3 そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」』

エゼキエルは、神様からこの民を生き返らせる(希望を持たせる)ことが出来るかどうかの問いに、答えます。

「私はわかりません。あなたは神様なのでご存じでしょう!」と・・

すると神様は、エゼキエルに骨に向かって預言をするように言います。

エゼキエルが指示されたとおりにすると、骨がカタカタと音を立て、そして肉が付き、皮膚が覆いました。しかし、そこには霊がいません。

すると神様は、エゼキエルに霊に向かって預言をするように言います。

殺された者の様であった、肉と皮膚に覆われた骨に霊が入ると、立ち上がり、大勢の人となります。

これは、イスラエルの民が肉体と心の健康を回復し、立ち上がったことを象徴しています。実際20万人くらいのイスラエルの人々が、捕囚から帰還するようになることが、ここで預言されているのです。しかし、彼らはイスラエルに帰ると言う希望は、まだ実現することだとは思っていませんでした。

3.墓を開く

 イスラエルの人々が帰還するためには、帰国を許されなければなりません。また、そのためにはバビロンの町を出なければなりません。いまは、バビロンの墓の中に押し込められている状態なので、まずその墓の扉を開く。そうしない限りは、どこに行くこともできません。神様は、その墓の扉を開けて、民を引き上げ、そしてエルサレムに連れて行くと言われました。それは、そのまま「奴隷として働くことからの開放」であり、「バビロンを去る事を許す」ことであり、そして「エルサレムまで帰る手段を与える」ことです。こうして、神様はイスラエルに民を返すことを約束されました。

 イスラエルに帰ったとして、民は、また枯れた骨になってしまいます。なぜならば、イスラエルは70年間の捕囚によって、荒廃しているからです。畑も無ければ、家も、道も、道具も、食べる物もないのです。しかし、神様は、そこでまた霊を吹き込むことを約束します。すると、民は生きる希望をもち、そして神様がイスラエルの民に与えていた土地で生活が出来るようになると神様は宣言します。

 こうして、イスラエルの民が帰還して、希望をもった生活が出来るようになると、イスラエルの民は、「主である神様が、このすべての事を行った」ことを知るようになる。神様は、そうお話になりました。つまり、この帰還の業は神様であるからこそできる事だということです。とうていイスラエルの民の努力では達しえない、奇跡のことであったと、イスラエルの民自身がそう考えるはずだと 神様は言われたのです。