使徒9:32-43

 起きなさい

2020年 7月 12日 主日礼拝

『起きなさい』

聖書 使徒言行録9:32-43

おはようございます。

 今日は、「聖霊の働き」が中心テーマと言われる使徒言行録から、ペトロの癒しの箇所を取り上げました。この癒しの物語は、あまりに唐突に始まります。この物語の前には、キリスト教を迫害していたサウロがイエス様に出会って回心した物語があります。そのサウロの物語がおわった後、何の繋がりもなく、まるで割り込むように、物語が始まります。そして、リダでの短い癒しの物語を終えると、すぐ次のタビタへの癒しの物語に移ります。こうして、2つ目の物語で、舞台はヤッファに変わって、「異邦人伝道」の物語につながるわけです。使徒言行録では、この物語を最後にペトロからパウロに主役が移ります。使徒言行録のこの章では、異邦人伝道について、「パウロの回心に直接かかわったイエス様」と「ペトロを導いた主」の意志で始まったことが表現されているのだと思います。

 ペトロが訪問したリダとヤッファは、サマリアの町です。リダは、ヤッファから20kmほど内陸の町です。サマリアはかつては北イスラエル王国だったのですが、その当時は異教の地と見做されていました。ですからマタイにもこのような記事があります。

マタイ10:5 『イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。』 

 実は、イエス様は、サマリヤへの伝道に否定的だったのです。

そういう経緯から、サマリアはイエス様の弟子たちの伝道の対象ではなかったのですが、サウロがキリスト教徒をエルサレムから追い出したために、12弟子以外のキリスト教徒はユダとサマリアに散りました。それぞれが、散った先で伝道を始めたという経緯があります。その結果、サマリアの地でイエス様を信じる者が増えたので、ペトロとヨハネはサマリアに来ていたのです。

参考:『使徒8:1 サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。8:4 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。8:14 エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。』)

 

 リダでは中風を患うアイネアという名前の男が八年前から床についていました。中風というのは脳卒中の後遺症で、体の一部が麻痺することを指す言葉ですが、ギリシャ語の聖書では、「半身不随」と書かれています。アイネアは、病によって体が不自由になり、長い間床から起き上がることが出来ませんでした。そして、八年間という長い月日は、治る見込みは無いような状態を示しています。   

 しかし、ペトロは「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい(ἀνίστημι:起き上がる、復活する)。自分で床を整えなさい」と言ったんです。そして、アイネアはすぐに起き上がった、とあります。 これを見たリダの町の人々とシャロン平野(ヤッファからカルメル山を結ぶ海岸線:要するにサマリアの海岸周辺)に住む人々は、主に立ち返ったと聖書は語ります。ところで、シャロン平野の中央には、ローマの総督がいる町カイザリアがあります。「異邦人伝道」の物語で登場する、カイザリアにいる百人隊長コルネリウスは、この出来事を知っていて、ペトロに会いたいと考えていたと思われます。そればかりではありません。今日の2つ目の癒しの物語でも、ヤッファにいた弟子たちは、アイネアへの癒しの事を知っていたとしか考えられません。 

 

 ヤッファで、たくさんの善い行いや施しをしていた婦人タビタが、病気で死んでしまいました。  

 タビタは奉仕を良くする人でした。タビタは、貧しいやもめたちのために、下着や上着を手間暇かけて仕立て、それを分け与えていました。地味で、目立たない、小さな働きだったかも知れません。しかし、この小さな業は、多くのやもめたちを助け、支えとなっていたのでした。聖書の中でこのタビタだけが、「女性の弟子」(μαθήτρια)と呼ばれていることからも、特別な存在だった事がうかがわれます。お葬式の準備が始まりますが、聖書には、「人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。」と簡単に書かれています。当時の習慣として「家族と友人たちが遺体を洗い,香料や上等な油を塗ったあと,布で巻いた」ようです。そして、その日の内にお墓に入れるわけです。

おやっと思うのは、階上の部屋に安置したことです。本来、その日の内 つまり、日が沈む前にお葬式を終えてお墓に納めなければなりません。それが出来ない場合でも、夜を超えてはならないというのが、ユダヤの習わしです。ところがです、ペトロがリダの町にいることを知っていた弟子たちは、ペトロを急いで来るようにと呼びました。近くの町に来ていると言っても、往復で40kmもあるので、道がまっすぐで平らであったとしても、休まずに歩いても10時間はかかるでしょうから、埋葬が日没までに間に合わないのは間違いありません。それでも弟子たちは、ペトロを呼びました。ペトロに特別な期待を持っていたからでしょう。また、ペトロもためらうこともなく、すぐに出発したのではないでしょうか?

 やがてリダの町からやって来たペトロに、やもめたちは、「泣きながら、彼女が作ってくれた数々の下着や上着を見せた」と書かれています。タビタがやもめたちに良くしたので、彼女が生きている間に係ってくれた感謝と、彼女を失った悲しみをペトロにぶつけたのでしょう。やもめたちは、ペトロがこれから何かを起こすことを期待して訴えたのかもしれません。   

 ペトロは、皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい(ἀνίστημι:起き上がる、復活する)」と言いました。すると彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がったのです。ペトロは手を貸して彼女を立たせ、教会の者たち、やもめたちに、生き返ったタビタを見せたのでした。         

 このアイネアとタビタの二つの癒しの出来事は、主イエスが十字架にかかられる前、地上におられた時に行われたいやしの場面と、とてもよく似ています。

 (マタイ9:1-8、)マルコ2:1-12(、ルカ5:17-26、ヨハネ5:1-7)に中風の人をいやした物語があります。 『2:11 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」2:12 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。』とあります。ペトロはと言うと、『9:34 ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。』

イエス様とそっくりですね。  

 (マタイ9:18-26、)マルコ5:21-43(、ルカ8:40-56)に、主イエスが、会堂長ヤイロの娘を生き返らせた、という出来事が記されています。そこでは、死にそうな娘を助けて欲しいとのヤイロの願いに応じて、主イエスが家に向かうのですが、途中で娘が死んでしまった、という連絡が入ります。しかし主イエスは眠っているだけだと言い、ヤイロ家に行ってこの娘の手を取り、「タリタ、クム」と言われました。これはアラム語で、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味です。そして、「少女はすぐに起き上がって歩き出した」、と書かれています。   

 ペトロも、同じようにアラム語でタビタに呼びかけたのでしょう。「タビタ、クム」(タビタよ起きなさい)という言葉になります。主イエスが仰った「タリタ、クム」(娘よ起きなさい)とほとんど同じです。    

 ペトロのこの二つの出来事は、まるでペトロが主イエスの奇跡の御業を真似しているかのようです。十字架の出来事の前に主イエスがなさったことと、ほとんど同じことをペトロが行い、そしてその結果も同じだったのです。だからと言って、主イエスの行動や言葉を真似ること自体には、癒す力はありませんし、使徒ペトロ自身に癒す力があるわけではありません。   

 ペトロは、中風の人のアイネアの時には、「イエス・キリストがいやしてくださる」と宣言しました。また、タビタの時には、ひざまずいて祈った、とあります。イエス様の力を求めたのです。この二つの出来事は、まさに主イエスご自身が働かれたことを示しています。地上を歩まれ、中風の人を癒し、少女を生き返らせて下さった、あの主イエス様が、今も生きておられるのです。他でもない、十字架の死を克服したイエス様が、同じように御業をなさっておられるということを証しています。サマリアでは、主イエスの救いが各地に告げ知らされ、信じる者が起こされていました。死を打ち破り、復活し、生きて天におられる主イエスが、すべての信じる者たちと聖霊によって共にいて下さることを、ペトロを通して示して下さったのです。         

 リダにおいては、35節に「リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。」と書かれ、ヤッファにおいては42節に「このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた」とあるように、多くの人々が主に立ち帰り、主を信じたのです。      

 

 このためにこそ、イエス様のいやしと生き返りの奇跡の御業は行われました。この御業を通して、人々は「生きて働かれる主イエス様」と出会いました。そして、人々は主を信じたのです。   

そして、ペトロはその後ヤッファに留まり、次の物語でカイザリアにいるローマの百人隊長コルネリウスと出会います。今日のペトロの癒しの物語は、章をまたいで、次の物語に引き継がれます。具体的には「異邦人伝道」に向けて、「出会いを齎す準備」が整えられました。この2つの癒しによって、カイザリアに住む異邦人の所までキリスト教とペトロの評判が伝わり、そしてイエス様の証が届けられたのです。神様のご計画の結果、イエス様の奇跡と、ペトロや弟子たちの働きがありました。ペトロや弟子たちは、神様の計画を知らないながらも、神様に導かれるまま神様に用いられていたのです。ペトロが「異邦人への伝道」の計画を神様から知らされるのは、この直後でした。決して、ペトロや弟子たちが作った伝道計画でもなければ、人々が信じるきっかけとなった癒しも、ペトロや弟子たちの力でなされたのではないのです。

      

 「起きなさい」。ペトロは、イエス様の名によって命令して、癒しの出来事がありました。「起きる」は、もう一つの意味では「復活する」事を指します。十字架の苦難を受けられた後に復活したイエス様。その、イエス様の権威によって多くの人たちが癒され、命を そして人生を取り戻す。そのために、ペトロはサマリアに派遣されました。今、そしてこれからも、どんな絶望的な状態でも、イエス様は私たちに聖霊を通して働きかけ、癒してくださいます。そしてその癒しの最大の恵みは、私たちの罪が赦されたことです。イエス様に立ち帰り、イエス様を信じ、イエス様の救いに与ることこそが、わたしたちにとって何よりも大きな奇跡の御業なのです。   

 多くの人々の罪の赦しのために、イエス様は聖霊を通して奇跡の御業を行われ、ペトロの目の前でご自身を証しされました。この時、アイネアを長く苦しめていた中風の病も、やもめたちを悲しませたタビタの死も、イエス様が生きて働いておられることを証しています。イエス様には、そのような「病」や「死」ということさえも、人々を救うご計画のためにお用いになるのです。      

      

  この信仰の群れに、生きておられるイエス様が、共におられ、語りかけて下さり、そして、救い出し、起き上がらせて下さいます。   

「起きなさい」。これは、イエス様の証の言葉であり、またすべての者への、救いへの招きなのです。イエス様の御手に委ねてまいりましょう。