1.百人隊長
ローマの軍隊については、以前書きましたので、参照ください。百人隊長は、文字通り100人の兵隊を引き連れます。もちろん軍の司令官なわけですから、絶対的な権限を持っていますし、部下の命を預かっている責任は重いものです。騎乗を許されていましたから、日本の戦国時代で言えば、足軽大将に相当します。イエス様が拠点としていたカファルナウムの町は、大きくはないのですが、ローマの守備隊が駐屯していました。つまり、百人隊長も、その部下たちも、荷駄隊もすべて異邦人だったと思われます。
異邦人が、イエス様の家を訪ねてくるのは、普通ではないことです。ユダヤ人は、異邦人と付き合いませんから、イエス様の評判が高かったにしても、異邦人にそれが伝わること自体は、無いと思われます。だからこれは、百人隊長が癒し手を探した結果なのだろうなと思われます。なぜなら、百人隊長は、ユダヤの人々から見れば、ローマの権威そのものでありますから、自らが調べまわればユダヤ人の情報も集められただろうからです。
2.中風の子?
百人隊長が「わたしの僕(παῖς)」と呼んでいるのは、奴隷というより、子供のことをしめしています。特に、新約聖書では、自分の男の子や女の子をこの言葉(パイス)を使うようです。そうすると、百人隊長の子供が中風ということになって、おかしなことになってしまいます。実は、原文では、中風とは書かれておらず、「麻痺している」と書かれていますから、てんかん なのだと考えてください。
3.百人隊長の信仰
百人隊長の懇願に対して、イエス様はすぐ返事をしました。『わたしが行って、いやしてあげよう』
それは、異邦人の家に行って治すことを意味します。ユダヤ教のラビであれば、宗教的汚れを防ぐために、異邦人の家には入らないのが習わしです。ところがイエス様は、そんなことに無頓着なようです。
一方で、懇願したはずの百人隊長は意外な事を言い出します。
『主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。8:9 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。』
百人隊長はイエス様に、「自分の家に来るな」と言って止めました。考えすぎかもしれませんが、イエス様が汚れるのを避けたのかもしれません。かといって、子供が癒されることを止めさせたのでもありません。百人隊長は「ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」と言います。
これは、信仰告白にほかなりません。イエス様を信じています。だから、ひとこと「麻痺が消えるように」などと、言ってくれるだけで子供は癒されると確信しています。ですから、百人隊長は「私の家に来ていただく必要はありません。」と断ったのです。
百人隊長は、その理由を言っています。兵士と自分の関係にたとえて、子供とイエス様の関係を説明しています。百人隊長の権威はローマ兵にとって、ローマ皇帝の権威そのものでした。百人隊長は皇帝の権威の下で命令を下し、兵士はそれに従います。もし兵士が百人隊長の命令に逆らえば、それは兵士だけではなく百人隊長も皇帝に逆らうことになります。だから、百人隊長は兵士に厳しく命令をし、兵士も百人隊長の言葉に従うのです。同じように「百人隊長の子供も、イエス様の言葉のとおりになる」 と百人隊長はイエス様に説明しました。百人隊長は、イエス様の言葉の権威を信じていたのです。
『8:10 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。8:11 言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。8:12 だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」』
イエス様は、この信仰を見て感心しました。そして、異邦人の百人隊長が天の国に行ける と話します。ユダヤ人は、自分たちがアブラハムの子孫であると自慢し、自分たちが唯一神様に救われる民族であると考えていました。それは誤り、無知、迷信の暗闇であります。イスラエルの人々は、その外界の暗闇に追い出されるであろうとのイエス様の予告です。 福音の光は彼らを照らさず、彼らはもはや神の国には入れなくなるのです。
イエス様がこの世にきて、人々を救おうとされているのに、神様が選んだ民がその救いから取り残されることを、このときイエス様は示していました。そして、異邦人に福音が広がるのです。決して、イエス様は、異邦人とユダヤ人を区別することはないのですが、順番としてユダヤ人、異邦人と伝道をして、多くの異邦人も救いに与ったのです。