12部族の嗣業の地のどこからでも、一日で逃れの町に行くことができました。6つともレビ族の町であり、伝統的な聖地に当たる場所ばかりです。基本的に山にある町で、誰でも行きつく事ができるように、下からの見晴らしがよかったようです。
逃れの町(のがれのまち) 過って人を死に至らしめた者が,正当な裁判を受けるときまで,死者の家族の私的復讐(血の復讐)を避けるために避難することのできる町(民 35:9-28)。ヨルダンの川東と川西に3つずつ設けられた。ラモト・ギレアド,ヘブロン,シケムなどである。(新共同訳聖書 解説)
なお、逃れの町の詳細な規定は、民数記35章8―34節及び申命記4章、19章にも記されています。そして、逃れの町の規定そのものは、モーセを通して与えられたものとされ、ヨシュアが後継者として引き継いだものです。
7―8節に、逃れの場所として指定された町の名が記されていますが、これらの場所は、元々有名な聖所があった場所と考えられます。シケムおよびヘブロンの聖所がそのことをはっきりと物語っています。
ケデシュは、カーデシュ「神聖である」という語根からなるので、同様に特別な聖性を有したに違いないと考えられます。東ヨルダンの土地では、ラモト「高所」とベツェル「近寄りがたいもの」に、これとの類似性を認められます。ゴランあるいはガロン(書かれた形)の場合には、語根ガーラー「啓示する」との関連を推定することができます。これらの場所は古い時代に既に逃れの町として知られていました。
1.死による贖い
逃れの町には祭壇があって、民の罪の執り成しと贖いをする祭司がいました。そして、逃れの町はだいたい一日で行けるとことにありました。過って人を殺してしまった者は、これらの町に行き、その町の入口に立って、町の長老たちに申し立てなければなりません。実は、それらの町の入り口には、裁判官が座る場所があり、そこで町に入れるかどうかの判断が行われました。そして、町の中に入れてもらうなら、たとえ血の復讐をする者が来ても、裁判をせずに引き渡されることはありませんでした。逃れの町は、公平な裁判を受けることを保証するものです。今日では当たり前だと言えますが、当時としては実に人権に配慮した規定であります。その精神は恵みの契約の精神に沿ったものです。裁判の結果、逃れてきた者が、本当に過って人を殺し、彼が殺した人を憎んでの行為ではないと判明した時は、その逃れた町に住むことが許されました。
そして、その人は大祭司が死ぬまで、その町に住まねばなりませんでした。ここに示されている考えは、贖いです。人の命を奪うことを贖うには、別の死が必要だとの思想が根底にあります。通常、殺人者は、被害者の近親者の手によって殺されるべきものでしたが、このような故意でない偶然の過ちによる殺人の場合は、これを裁定した大祭司の死が、その代わりとなったのです。彼の罪は大祭司の死によって贖われ自由の身となるわけです。
2.逃れの町の新約的な意味
この逃れの町の規定は、イエス・キリストの贖いの御業としての意味を持っています。もちろん、キリストは、大祭司にまさる救い主です。キリストは、わたしたちの全ての罪を背負い十字架に死に、その血の贖いによって、完全に清めました。私たちは、もはや罪を犯すことができなくなるまで、聖められるのです。