1.ネボ山に登れ
申命記『32:48 その同じ日に、主はモーセに仰せになった。32:49 「エリコの向かいにあるモアブ領のアバリム山地のネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。32:50 あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる。兄弟アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように。32:51 あなたたちは、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、イスラエルの人々の中でわたしに背き、イスラエルの人々の間でわたしの聖なることを示さなかったからである。32:52 あなたはそれゆえ、わたしがイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」』
34章は、神様がモーセに命じられたことが実際に行なわれた記録です。このときまでに、ヨシュアとカレブの二人以外は、エジプトから出発した人々全部が死んでしまいました。そして今、モーセもその使命を終えようとしていました。その死を迎える直前に、「神様の約束の地を見たい」との彼の願いはかなえられました。
なお、「ピスガ」の意味は、「こわれた」で、ギザギザした峰を示していると思われます。実際ぎざぎざの尾根であり、その最高の峰はエバル・オシヤであるとされます。晴れた日に、エバル・オシヤから遠くを見渡すと、ヘルモン山、ガリラヤ湖、オリーブ山、ベツレヘム、死海、その先に至るまで見ることができます。これは2,3節の記録と一致します。なお、ピスガの山は、ネボ山の西2.5キロメートルの峰ラース・エ・シャーガを指しますので、厳密にはネボ山ではありません。
2.見るとは・・・
『34:4 主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」』
モーセはその土地に入ることはできませんでしたが、確認することができました。モーセがこの山に登ったのは、神様の約束の地を確認するためでした。この地は、アブラハム以来、族長たちに約束した地でありますから、モーセはその全地を自分の目で確かめたかったのです。この民族にとって、「見る」という行為は、獲得することを意味しました。
創世記『13:14 主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。13:15 見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。』
3.後継者
『 34:9 ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。モーセが彼の上に手を置いたからである。イスラエルの人々は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおり行った。』
「モーセが彼の上に手を置いた」(民数記27:18,22,23)との意味は、按手です。按手は、祝福や任命や、霊的賜物を分与する象徴として行なわれています(創世記48:14、使徒言行録13:3)。「知恵の霊に満ちていたヌンの子ヨシュア」は、このとき後継者となりました。モーセに代わるリーダとして立てられ、祝福し、その働きをイスラエルの人々が委託したのです。
4.偉大なモーセ
『34:10 イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。~』
モーセ以後、イエス・キリストの来臨までは、モーセに勝る預言者は現われませんでした。(申命記が書かれたのは紀元前ですので、著者が目撃したことではなく、預言です。遠くの未来のことを預言したわけです)このようにして、申命記は、モーセがイエス・キリストを除いては、最大の預言者であったことを示して終わります。
ヘブライ『3:2 モーセが神の家全体の中で忠実であったように、イエスは、御自身を立てた方に忠実であられました。3:3 家を建てる人が家そのものよりも尊ばれるように、イエスはモーセより大きな栄光を受けるにふさわしい者とされました。3:4 どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。3:5 さて、モーセは将来語られるはずのことを証しするために、仕える者として神の家全体の中で忠実でしたが、3:6 キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。』
モーセは、預言者として民を導きました。また、神様の示されたご命令を、民に伝え、行なうように指導しました。さらに、モーセはイエス様のことを預言しています。
申命記『18:15 あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。』