Ⅱコリント1:3-11 

 神様の慰め

2023年 1231日 主日礼拝

神様の慰め

聖書 コリントの信徒への手紙二 1:3-11


神様の慰め

 

 今日は、今年最後の礼拝となりました。この一年はどんな年だったでしょうか?礼拝後の感話会でそんな話題もあるでしょうね。ぜひ、分かち合いたいと思います。ところで、クリスマスの飾りですが、まだ片付けていないのは、3人の博士がイエス様に会いに来た日が1月6日だからです。この記念日を、顕現節とか公現節と呼びます。顕現節と公現節は翻訳の違いだけで、元のギリシャ語(エピファニア:ἐπιφάνεια)は一つです。この3人の博士がイエス様に会いに来た記念日は、1月の第一週の事なので、年が開けてもクリスマスなのです。それなのに、日本では12月25日を過ぎると正月の準備に入って、クリスマス色が一気になくなります。ここは教会ですので、日本式ではなく、来年は7日の日曜日にクリスマスの飾りを片付けることにしたいと思います。

 今日はコリントの信徒への手紙二からです。この手紙は、使徒パウロと協力者テモテからコリントの教会に宛てられた手紙です。そうは言っても、実質は、パウロの書簡です。

 第三次伝道旅行のほとんどの期間、パウロは、エフェソにいました。エフェソから、コリントの教会を気にかけて、『コリントの信徒への手紙一』を書きました。それは、第二回伝道旅行の時伝道したコリントの教会が、内部分裂して、派閥が出来ていたことを伝え知ったパウロが、教会の一致を訴えた手紙でした。その後パウロは、海を渡ってマケドニア州へ向かうことになります。エフェソでの宣教活動は成功を収めたのですが、一方でパウロに敵対する者によってエフェソにいることが難しくなっていたのです。エフェソから陸路トロアスへ到着したパウロはそこから海を渡って、マケドニア州へ入ります。そして、コリントを訪問していたテトスと、マケドニアのフィリピで再会します。そこで、パウロはテトスからコリントの教会の状況について聞くことができたのです。そして、パウロとテトスが共同でコリント宛に手紙を書きました。その手紙は、テトスがコリントに届けたと考えられています。

(第一の手紙との大きな違いは、コリントの共同体のメンバーのみならず、アカイア州の全域の共同体に宛てられたということです。)

 パウロは、神様のことを、『わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神』と呼びます。私たちに独り子を与えられたほどに、父なる神様がこのわたしを愛してくださった。その神様をパウロは、ほめたたえます。神様は、「慰めを豊かにくださる神」であります。ここで言う「慰める」という言葉の意味は、「相手の悲しみや苦しみをなだめる」ことであります。一方で、聖書で使われる「慰める」という言葉(パラカレオー:παρακαλέω)は、「励ます」、「力づける」とも訳されます。聖書の慰めは、励ましでもあり、力づけでもあるのです。そして、「慰める」と対になっているのが「苦難です」


 4節に「あらゆる苦難」とあります。これが3節の「あらゆる慰め」と対応しているわけです。神様は、あらゆる苦難、すべての苦難の中にある私たちを慰めます。神様は、あらゆる苦難の中で、私たちを慰め、励まし、力づけてくださるのです。このあらゆる苦難とは、イエス・キリストを宣べ伝えるための苦難を指しています。パウロは、自分で苦難を呼び込んでしまいました。しかし、それは直接的な原因でしかありません。本当の原因は、イエス様が私たちを救うために十字架で犠牲になったこと。そして、「イエス様の福音を宣べ伝えよ」とのパウロの召命にあります。それは手紙からも読み取れます。

『1:5キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちに及んでいる~』

パウロのあらゆる苦しみは、キリストの福音のための苦しみなのです。それだからパウロは、『1:5~わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。』と言うのです。キリストのための苦しみが満ちあふれるところに、キリストによって神様の慰めが満ち溢れる。「あらゆる苦難の中にある人々は、神様から慰められる」と言うわけです。


 パウロは、「キリストの苦しみが満ちあふれて自分たちに及んでいるもの」であると書きました。このように、パウロが自分たちの苦しみについて書くのは、わけがあります。それは、イエス・キリストのために受ける苦しみこそが、イエス・キリストの使徒である証拠だからです。コリントの教会には、パウロが使徒であることを認めない人たちがいました。パウロは使徒として認められていないからこそ、「自身が使徒として立っているからこそ受けている苦難」について、書いたのです。もちろん、使徒パウロが受けている苦難は、コリントの信徒たちのための苦難でもあるのです。それですからパウロは、『1:6 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。~』と書きました。


 さらに、パウロはこう言います。『1:6~また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。』 パウロたちが苦難の中で励まされ、力を与えられるとき、コリントの信徒たちも励まされ、力を与えられます。それは、パウロたちの苦難がコリントの信徒たちのための苦難でもあるからです。それは、コリントの信徒たちもパウロたちと同じ苦しみ、キリストの福音を宣教するための苦しみだからです。このように、使徒パウロとコリントの教会は、キリストのための苦しみと慰めについて、一体なのです。


 パウロは、コリントの信徒たちに、『アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。』と書きました。「アジア州」とは、小アジア、今のトルコです。パウロは、このころアジア州のエフェソに三年間滞在し、福音を宣べ伝えました。ですから、使徒言行録19章に記されている「エフェソでの騒動」のことではないかと推測されます。エフェソで、どのような騒動があったのかですが、使徒言行録19章23節から40節にありますので、そのあらましを確認してみましょう。

騒動の概要「キリスト教のことで騒動が起こりました。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型(観光地のお土産品)を銀で造らせ、職人たちも潤っていました。彼は、同業者を集めて言います。「あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなり、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされる。」 これを聞いた人々はひどく腹を立て、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。」


 結局この暴動は、エフェソの役人が出てきて治まりました。この騒動の記事を通して、こんなことがわかります。エフェソがアルテミス神殿の門前町として栄えていることと、パウロが「手で作ったものなどは神ではない」と過激な言葉で福音を宣べ伝えていたこと、ですね。パウロがアジア州で被った苦難が、この騒動であったのかは判りません。しかし、パウロが率直に信じていることを宣べた結果、異教徒を怒らせていたことは事実であります。ですから、エフェソの町で標的にされました。この騒動が起こって、仲間が巻き込まれてはいけないので、パウロはエフェソから去らざるを得なかったのです。


 パウロは、アジア州で被った苦難の中で耐えがたいほど圧迫され、生きる望みさえ失ったと書いています。その苦難は、パウロにとって「死の宣告」でした。仲間が捕まるような騒動が起こるので、パウロはもう、アジア州では福音宣教を続けられません。それは、召命を断念するような、絶望でありました。しかし、そのような厳しい苦難の中で、パウロは自分を頼りにするのではなく、神様を頼りにします。そして、パウロは苦しみの中で、神様からの慰め、励まし、そして力をいただいたのです。神様は、あらゆる苦しみの中で、パウロと仲間たちを慰め、励まし、力をくださいました。ただそれは、彼らが神様を頼りとしたからです。苦しみの中で、自分でもがくのではなくて、神様を頼りとするとき、神様の慰め、励まし、そして力を頂くことができるのです。


 パウロと同じようなことが、私たちにも言えると思います。私たちは耐えられないほどの苦しみの中でこそ、神様に出会っているのです。私たちが神様を求めるのは、苦難のさ中 神様を頼りとするときです。 やがて、慰めが与えられていることに、気づかされます。逆に、苦難の中で、自分でやれることは何でしょうか?キリストの十字架を背負っている思いをもって耐える事、目をそらす事、自暴自棄になる事、逃げる事ぐらいしか考えられません。これらはどれも、苦難を根本的に解決するものではありません。一方で、苦難の中にあって、「あなたの罪は赦された」という赦しの言葉と神様の癒しを頂いて、私たちは神様の存在を感じとるのです。


 パウロは、「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう」と振り返っています。このパウロの死の危険を救ったのは、エフェソに滞在していたアキラとプリスキラ夫妻であるとの説があります。パウロは神様が救ってくれたと書いていますが、「神様がアキラとプリスキラ夫妻を用いて、パウロを救った」と言う事だと考えてください。その根拠が、ローマ書の16章3節、4節です。

ローマ『キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています』。

 マケドニアでコリントの信徒への手紙二を書いたパウロは、その後コリントでローマの信徒への手紙を書きました。ですから、どちらの手紙を書いたときも直前に起こったエフェソでの苦難の記憶が鮮明であったと推測できます。神様は、私たちの身近な人たちを用いて、苦難の中から救い出してくださるのです。そして、必ずしもキリスト者によるとは限りません。神様は、すべての人々を用いて、私たちを苦しみから救い出してくださるのです。

 

 今日の聖書の最後の箇所でパウロは、コリントの信徒たちに、「死の危険から救われるように」と神様に祈ってほしいとお願いします。パウロは、神様が救ってくださると信じているのですが、コリントの信徒たちの祈るならば、さらに確かなものとなるからです。そして、それが成就するとき彼らコリントの信徒は神様に感謝を捧げるでしょう。このように、コリントの信徒たちは祈ることによって、パウロの働きにあずかる者になるのです。私たちは、祈りによって恵みを共有し、神様に感謝を捧げることができます。私たちにはそれぞれに苦難があります。その苦しみを教会のみんなで分かち合って、祈り合いたいと願います。また、そういう教会での一年間であったことを感謝しましょう。