使徒28:11-31

ローマで宣教

google mapより

メッシーナの対岸がレッジョ・ディ・カラブリア

1.ローマ到着

 マルタ島で冬を越したパウロは、アレクサンドリアの船に乗ってローマ方面に向かいます。ディオスクロイとは双子のギリシャ神話に出てくる神のことです。当時の船には、守護神が祭られていたのです。シラクサは、太宰治の「走れメロス」の舞台となったシチリア島の町です。シラクサから海沿いに北上して、海峡を渡るとレギオンです。(レッジョ・ディ・カラブリア:Reggio di Calabria)ちょうどイタリアのブーツの先にあたります。そこから船に乗ってプテオリに入ります。この港は、ナポリの北側にある古くからの貿易港です。ここには主の兄弟がいて、さらにローマに近づくとローマの兄弟たちがアピイフォルム(ローマから69km)とトレス・タベルネ(ローマから53km)まで迎えに来てくれました。この出迎えにパウロは、大変勇気づけられました。

 

 

2.ローマで宣教する

 パウロは、囚人といっても自由にしていることができ、自分のお金で家を借りて住んでいました。一説によるとAD62年ごろローマに来て、AD64年に釈放されました。そしてペトロと同じ時期に殉教したと伝承されています。使徒言行録を書いたルカは、パウロが獄中書簡(ガラティヤ、エフェソ、フィリピ、コロサイ)を書いたころは、その手紙の中に名前が出ており、同行していることがわかります。しかし、ローマに到着してから2年の記載が相当に少ないことから、ルカはローマに行かなかった可能性があります。もしそうならば、獄中書簡についても、書かれたのはローマではなくて、カイザリアである可能性があります。なぜかというと、獄中書簡に出てくる人物はルカの使徒言行録にはほとんど出てこないからです。カイザリアのパウロの文書は、ルカが保管し後世に伝えましたから、パウロの書いた(ルカが保管している)手紙と同じことを書く必要がなかったのです。ルカがもし、ローマに行っていたならば、ローマでの出来事がもっと書かれているか、パウロの手紙ももっと残っていたと想像されます。