コリントの信徒への手紙一1:10-17

教会の分断


1.コリントの混乱情報

 挨拶の後、パウロはすぐに本題に入ります。コリント教会は、派閥が出来てしまい互に争う教会でした。『皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。』と、パウロが書いたくらいです。パウロは「クロエの家の者たち」から教会のことを聞いて知りました。クロエは当時の女性奴隷の普通の名でした。クロエがどんな人かはわかりません。しかし、彼女の名前は明らかにコリントの信徒たちによく知られており、彼女の家族の何人かの奴隷は、おそらく所用でエフェソとコリントの間を旅し、パウロにコリントの教会の混乱した様子を知らせたのです。

 パウロの情報源は、他にもあったのでしょう。しかし、分断した教会の誰かから聞いたことがわかれば、さらに分断は進んでいきます。ですから、クロエというクリスチャンの女性は、コリントの教会の人ではないと考えられます。コリントの教会の外の人であって、パウロと同程度の信頼関係にあることが、パウロの情報源を明らかにする条件であると思われます。パウロはコリント教会の外部からの情報を選ぶことで、「深刻」な事態となっていることを、「確かに」把握していることを説明したわけです。そして、「クロエの家の者たち」は、コリントを訪問しており、そしてコリントの教会の実情を良く知っているならば、パウロがすべてを把握していると言えます。それだけ、クロエの家の者たちは、コリントの教会との信頼関係もあったことと思われます。少なくとも、コリントの信徒たちは誰がパウロに告げ口したかについて互いに責め合うことはありませんでした。それにしても、教会内での分断が外部の人間が気がつくほどあからさまなものだった、とも言えます。

2.誰につく?

 コリント教会では、「自分はパウロにつく」、「自分はアポロに」、「自分はケファ(ペトロのこと)に」、「自分はキリストにつく」、と言い争う人たちが出てきました。この四つの派閥は、どういった群れなのでしょう。パウロが非難するのは、分断であり、パウロの名声を、アポロやケパのものと比較してその賜物と奉仕を評価するコリントの人々を非難します。

①パウロ派は、概ね異邦人の改宗者達であったことが予想されます。彼らの回心きっかけは、パウロに対する尊敬です。これが行き過ぎると、他の使徒に対する中傷が自然に呼び起こされ、敵意になると言えます。彼らは、「キリストが彼らを自由にした」とのパウロの教えを受け入れました。彼らは、キリスト教を霊的に見ることができずにユダヤ教の外面的な形にしがみついている兄弟たちを裁いたのです。

② アポロは、アレキサンドリアのユダヤ人で、「雄弁な男」でありました。彼は、パウロがエフェソスを留守にしている間にエフェソに来て、「主の事柄」について教えました。エフェソにいる間、彼はアキラとプリスキラから「神の道」について教えられました。それは、ヨハネの弟子たちが持っていた知識しか持っていなかったからです(使徒行伝18:24-28)。その後、アカイア地方で説教したアポロはコリントに来ました。彼がパウロの後にそこに来たことをさして、アポロが「水をやった」(1コリント3:6)と言いました。またパウロ自身が「土台を築いた」(1コリント3:10)と言ったことから、それぞれ別の功績があるわけです。

 アポロは、コリントの教会に修辞学者として、ギリシアの哲学者の文化をもたらしました。そして、十字架につけられたキリストの説教では、アポロの賜物と知識は、コリントの知的で理性的な階級に、受け入れられるようにしました。アポロがコリントから去ったとき、教会の一部は、彼の賜物と教え方の重要性を過大に評価しました。それは、福音の単純さを貶めることにもなりました。

 アポロは決してこのアポロ派の「創始者」ではなかったことを忘れてはなりません。何人かのアポロの教えを誇張する者が、アポロ派を創設したのです。そもそも、アポロとパウロは友人であり続けました。

③ コリントの第三の派閥は、ペトロ(ケファ)の信奉者と公言します。コリント教会のこの派閥は、パウロがとらわれなかった多くのユダヤ教の儀式的考えに、固執していました。彼らはペトロをパウロよりも尊敬に値するものとして高く評価していました。ペトロがキリストから「ケファ」(岩)と名付けられ、パウロからも「ケファ」と呼ばれていたからです。また、パウロに対する彼らの敵意は、パウロがペトロが誤り(ユダヤの習慣を尊重)を犯していると考えたことにもよります。

④キリストご自身の御名をあえて名前とする派閥がありました。彼らは、「キリストを見た(会った)こと」の重要性と価値を過大評価し、後に使徒に加わったパウロを軽くみました。彼らの最大の罪は、共通の絆であるはずのまさにキリストの名前です。パウロがキリストの名前によって一致を求めているその名前が、彼らによって排他的な党派の印にされたことであります。「人にではなくキリストにつく」一見、崇高な精神ではありますが、それぞれの派閥を見下していたと言えます。

3.パウロの勧め

 パウロは、「教会内のこのような分派争いはまったく愚かなことであり、罪の結果に他ならない」、このことを示しました。クリスチャンの一致の根本にあるのは、皆がキリストと結び合わされるためには聖霊によるバプテスマを受けている、という共通点が必要なことです。誰ひとり、パウロやペトロの名によってバプテスマを受けてはいません。それゆえ、もともと一つであったものを、リーダーの人間性や賜物に基づいて、分かれてはいけないのです。パウロは、数人のコリントの人にバプテスマを授けた後に、協力者たちにバプテスマを授けさせたことを、神様に感謝しています。もしもそうではなかったならば、クリスチャン同士の一致の基である、バプテスマさえも、コリントの教会をばらばらにする口実として、使われていたことでしょう。

 17節のパウロの言葉で、コリントで争い合っている者たちは恥じ入ったことでしょう。すなわち、キリストの福音を告げ知らせる召命についてです。

『キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、~言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。』