出エジプト6:28-7:7
モーセとアロンと 

1.モーセの預言者としての役割とアロンの役割

 はじめ、アロンは神様からモーセに会うように命じられていました。(4:14) 神様はまた、「自分は口が立たないために自信がない」と言うモーセに対し、アロンが雄弁であることを述べ、彼と共に民を導くように命じています。(6:13)アロンはモーセと共にファラオの前に出ました。イスラエルの民の解放を要求して、杖を投げると蛇になるなどの「しるし」を示しました。(7:12) また、神様がファラオの心を変えるために下した銃の禍(7:19など)においては、神様がモーセに命じてアロンが杖を振ることで禍が下されました。このように禍を繰り返し、すべてのエジプトの嫡子を打つ禍の後、モーセたちはエジプトからの脱出を実現するのです。

 アロンは荒野での放浪の初期の段階では、モーセの補佐役として重責を担っていました。アマレク人との戦いにおいてはモーセが杖を挙げてる間イスラエルが優勢なことを見て、アロンはモーセの腕を支えました。また、シナイ山に神様が現れた時にも、アロンはモーセ達と共にシナイ山に登ることを許されました。そして、アロンとその息子たちは、神様の命令によって祭司として使えることが命じられました。そういう経緯で、アロンはユダヤ教における祭司の祖とされています。

 モーセは、アロンと比べ口が立ちませんでした。神様は、モーセの預言者としてアロンを立てましたが、実際は、モーセが預言者であり、アロンはその実行者でした。

2.ファラオの前に立つためのしるし

 モーセは神様にしるしを求めました。イスラエルの民から『主はあなたに現れなかった』と言われた場合(つまり、モーセは預言者ではない と言われた場合)に備え、3つのしるしが神様から与えられました。「杖が蛇になる」「手が雪のように白くなる」「ナイル川の水が地に変わる」この三つです。

 エジプトに戻ったモーセは兄アロンとともにファラオに会い、イスラエルの民の退去の許しを願います。この時、しるしの一つ「杖が蛇になる」を使いましたが、ファラオの配下の魔術師たちもその程度のことはできました。ファラオは驚かなかったのです。アロンの杖の蛇が他の蛇を食べてしまったことで、一応の勝利とはなりましたが、ファラオはイスラエルの民を去らせることを拒みました。

 モーセは次のしるしを使いました。「ナイル川の水が血に変わる」をはじめとして10の禍を起こします。最後には、ファラオの息子を含めすべてのエジプトの初子が殺されました。ファラオはここに至って、イスラエルの民を去らせることを認めました。
 エジプト出発の夜、イスラエルの民は神様の指示通り、小羊の肉と公募を入れないパンを食べました。神様は、この出来事を記念として行うように「命令されました。これが、今もユダヤ教徒がが祝う、「過ぎ越しの祭り」の起源です。

3.モーセの記録
 フラウィス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』第Ⅱ巻第X章では、エピソードとして「モーセはエジプト軍の指揮官としてエチオピア攻略で活躍し、彼の強さを認めたエチオピアの王女タルビスは平和交渉をして彼の妻となった。」と書かれています。

 モーセの実在と出エジプトの信憑性は、考古学的知見、歴史的知見、紅海の海底調査、カナン文化における関連する起源神話などから、学者の間では疑問視する人が多いです。歴史学者は、モーセに帰せられた伝記の詳細さとエジプトと言う舞台は、青銅時代の終わりのころのカナンの姿を現していると考えています。この考えは、ヘブライ民族の統合にかかわった、歴史的、政治的、宗教的指導者は実在したのだという事を暗示し、擁護するものです。

 エジプト側に残るモーセに関する物語として、エジプトの神官マネトによる記録をヨセフスが引用した部分が残っています。可能性として、この伝説も出エジプトの起源なのかもしれません。

「アメンヘテブ3世が地を清めるためにと皮膚病患者を隔離した際、オサルシフォスというヘリオポリスの祭司が、皮膚病患者の監督者になります。皮膚病患者たちは、かつてのヒクソスが首都を置いていたアバリスに収容され、オサルシフォスはエジプトで禁じられているあらゆることを指示し、エジプトで許されているあらゆることを禁じまし。さらにヒクソスを国に引き入れてエジプトを再征服し、13年間彼らと統治しました。最終的にエジプトの地を追い出されますが、オサルシフォスはモーセの名を名乗りました」

・・・ 結局、モーセのことは聖書の記事を補完する情報が少なくて、よくわからないという事だと思います。

しかし、聖書の中ではモーセに課せられた使命と、その成果は明確なのです。神様とイスラエスの民の間の契約を結んだモーセは、神様と私たちの間をつないでくださったのですから。